坂の前の寺

 さて,奈良旅行2日目。この日は高取城にのぼりつつ,織田ライブにも乗り込むという非常にタイトなスケジュールを組んでおります。

 そして,高取城の前に,壺阪寺に乗り込みます。

 ネットでの事前情報収集の結果,高取城登城ルートは2つ。高取の城下町の市街地を抜けるルートと,壺阪寺から登るルート。最終的に橿原に向かうことを考えると,壺阪寺から入って城下町に降りるのが正解であろうと判断したのでありました。結果的に完璧なタイミングで橿原万葉ホールに到達できたので,適当に考え出したプランにしては上出来だと自己満足。

 そんなわけで壺阪寺。
 最寄り駅は壷阪山。壺阪寺までのバスは冬期(11月〜)本数が少ないため,ここでタクシーも覚悟していたのですが,この日は縁日か何かでバスが増便されており,バス移動。冬期にバスが減るってことから,東京の田舎者は高取城で雪にでも遭うんじゃないかと心配しておりましたが(何しろスーツ+革靴で移動しているのです),さすがにそんなことはありませんでした。
 そして,バスまで若干時間があったので橿原方面に向かうバス停と時間も確認。どうも万葉ホールの前にバス停があるらしい。

 てなわけで,壷阪山からバスに揺られ(ちなみに,壺阪寺口までだったらそこそこ本数が多いのですが,壺阪寺口からお寺までの距離と坂はかなりのものでした……調子に乗ってこっちに合わせて行動しなくてよかった),壺阪寺へ。

高取町観光案内 周遊マップ 壷阪山駅 駅前 バスとタクシーの関係
タクシー協会が作った表なのか?


 壺阪寺については,西国三十三カ所のうちの1箇寺,という以外に特段の事前情報は持っていなかったのでありますが,予想外に盛りだくさんのお寺でありました。

到達! 拝観案内 全景図
写真を写真に撮ってもうまくいかない
全国初の盲老人ホームが作られたらしいです
目のお寺ということも
これで初めて知ったのですが
社会福祉法人の案内 縁起


 そんなわけで,お金を払って中に入ります。
 全体的に白っぽくはなっておりますが,朱色がが目立つ仁王門。左右には当然仁王様。移築解体修理されているようなので,「桃山時代」のものであっても文化財指定されておりません。仁王様も同じく文化財指定無し。別に歴史が御利益を生むわけではないからいいんです。

仁王門 あまり仁王様の乳首に注目したことは
なかったんですが,
どこもこんな後付けの感じでしたっけ
眼病封じの寺
朱印ブームに上手く乗っています
仁王さんの下駄
てっきり仁王様の縁起を…とかの
意味があるのかと思ったら,
宗教的な意味は皆無。
「記念撮影してください」としか
書かれてません
仁王門の解説 確かに背後からの釣金の助けがありません
が,一般的な仁王像の立ち方を知らないので
これのすごさが分からない……
でも,一丈一尺の木像が
前後に倒れないようにするのって,
確かに技術いりますよね



 仁王門を抜けると,左手に多宝塔。そして,右手には石造りの巨大な仏様。おお,なんじゃこりゃ。
 よくわからんけど,平成新伽藍がここにあたるのかな?

 巨大な石仏群は,なかなかの威圧感。木や銅の仏様とは異なる,石ならでわの丸みと凄みを感じます。

新伽藍縁起 多宝塔 石仏群 寄ってみると凄い圧迫感
斜めから 引いてみる 解説 動物の名前忘れた 手水舎


 さらに奥に進みます。奥に向かうには階段があるので,昇降椅子が配置されております。まあなぜかここだけで,ほかの階段にはないんですが。

階段リフトというらしい 十一面千手観音像
一体全部で400万円,顔は50万,手1本だと3万円。
上に乗っているご尊顔がなんかコミカルに見えてしまう…
下を見下ろす
慈眼堂 内部 釈迦誕生 涅槃像
布団?に入ってると寝てるだけに見えて
あまりありがたみが……
天井部


 慈眼堂を抜けると,左手には三重塔。こっちも気になるところですが,右手にもイベントがありそうなのでまずはこちらを攻めることにします。

 色合い的に慈眼堂と同じくらいの時期に出来たであろう天竺門をくぐり,階段を上がっていきます。
 そこには,なんとも広々とした,それでいてどことなく普通のお寺とは異なる空気のスペースでありました。ラベンダー畑があるとのことなので,ラベンダーの時期に行くと花はとても綺麗で,香りもいいんではないかと思われます。
 ちなみに,ラベンダーを植えた理由は別のところで解説されておりました。

三重塔 慈眼堂 天竺門 上から眺める。
こうやってみると釈迦如来の
石像の大きさが際立ってます
やはり高さ10mってのは凄い
旧伽藍方向 石仏群
阿弥陀如来石像
そこまで天竺アピールは必要なのかなあ
大観音石像の手より一回り小さいらしい……
なぜあえて一回り小さくしたのかが素人的には気になります
解説がない
お金が無造作に
置かれているのがなんとも
たぶんラベンダーの時期は綺麗なんだと思います
大観音像を見上げる わらじ 大観音石像
シェノイ氏と書くくらいならフルネームを書いてほしいところ
ちなみに,「インドノ石工」は「インドの石工」のミスでは無かろうか
見下ろす
涅槃石像
奥に大観音石像
手前には台が
なにか法要でも行うのでしょうか
こうやってみると横に切断された
死体のように見えなくもない

手に小銭をじゃらじゃらさせて
寝てるってのは
ある意味かわいらしいな
解説 手が不気味ですね


 さて,そんなわけで,天竺由来の怪しい空間に満足したところで,せっかく登った階段をおります。
 このあと高取城に向けて結局また登ることになるんだよな……。世の無常を感じます。

 さて,旧伽藍。朱色に塗られた多宝塔や慈眼堂などとはうって変わって,いかにも木造な,雰囲気のある三重塔です。
 そして,その先にあるのは怪しいメガネ。合掌してなかをくぐるらしいです。神道の大祓に近いような近くないような。それにしても,メガネといえば鯖江のイメージが強いので,こんなところでメガネを大々的にアピールするお寺に出会えるとは思ってませんでした。ところで,このご時世,コンタクト一本の人やレーシック派もいるかとは思うんですが,そういう人向けのアトラクションは作らないんでしょうか。

三重塔。重文。 解説
内部は床がないんですね
メガネ。
私はメガネ人間なので,当然くぐりました。
藤原京
聖なるラインの終着地
うむ。よく分からん。
魔除記念写真
写真を撮って魔を取ろう

写真を撮ることが魔を取り除くことの条件ってのは
かなり珍しい例なんじゃないでしょうか
仁王様の下駄といいこれといい,
眼のお寺だけに写真も好きなのか,
単に観光寺院なだけなのか……
魔除けの鬼たちが勢揃い
手前の鬼軍団も凄い
右から二番目の鬼の左手が無くなってますね
たぶん魔除けのために左手を失ったのだと思います
それにしてもなかなか特徴的な村山元首相的眉毛です
どなたかモデルがおられるのでしょうか
ピース☆ 棒には「家内安全」の文字
石像仏伝図浮彫
日本で彫ったのかと思ったら,どうやらインドから持ってきたようです。凄いですね


 さて,搦手も攻め終わったところで,ようやく本殿です(正確には仏伝図の写真は最後に撮ったのですが,細かいことは気にしない)。
 なんだか怪しい朱印商売もしております。この辺はやはり時流を見る眼がしっかりしているようです。

古くから伝わる秘法があるらしい 瑪瑙石ならぬ眼脳石 ←の石は分かるんですが,
エッグってなんやねん
景色 インディラガンジー
ちなみに,ここに書かれている
「インデラガンジー」を変換したところ,
ATOKは「院で裸眼ジー」と出しました。
やはり眼と関係があるんですね!
水やら目薬やら お里・沢市投身の伝説
先に投身したのは沢市なのになんでこの順番なんだろう?
おそらくこの辺りに向けて投身されたと思われます 本殿やら朱印所やら メガネと三重塔
ここでしか見られない
組合わせだと思う
めがね供養観音 なぜ他にあるような綺麗な看板が
設置されないのか
ラベンダーを植えた理由 ここ!


 そんなわけで,本殿の参拝終了。
 めがね供養観音にもお参り。一部の人はご存じだと思いますが,NPは物持ちが異常によく,どうみても換えた方がいいであろうメガネを丁寧に使い続けて危うく免許更新に失敗しそうになったりしております。そんなわけで,ここにその長年使い続けたメガネを持ってくればよかった,とちょっと後悔したのでした。結局,普通にゴミ箱に行ってしまっただけになおさら……。

 さて,そんなわけで帰路につきます。帰り際にはまだ建物。大石堂であります。ここも石の建造物。いやぁ〜,儲かってるお寺さんはうらやましいですな,という感じであります。
 1人しかいないと,お堂の中はなんともいえない荘厳な雰囲気であります。

 最後に,お土産屋さん兼お食事処。入口にメグスリの木茶の試飲コーナー。目薬の木ってのは初めて見ましたが,なんともいえない,健康食品のために出来たような名前の植物ですね。なんでお茶が目に効くのかというと,肝機能の改善によるらしいです。「肝機能の改善」を正面から謳っていいのかな。いいんでしょうな。
 1杯いただきました。お茶としてはそんなに癖のない味だったと記憶してますが,正直覚えてません。

中興堂 慰霊碑 最後に,怪しい石造りの建物が ご縁 大石堂
なんかモンスターがたくさん出てきそうな雰囲気
とりあえず動く石像を倒さねば…
解説 荘厳な雰囲気 中に入るとより一層 解説 横からもう一回石仏
近くで見ると継ぎ目が目立ちますね
売店ではお茶の販売 おせんべいも 龍義宮 この日は池坊の献華式も行われたようです


 そんなわけで,壺阪寺拝観終了。思った以上に見所が多く,楽しめたのですが,今日の本番はこの先,高取城なのであります。

奈良競輪高取城1

旅行記