紀三井寺や今は昔その2

 というわけで,紀三井寺をあとにします。
 後にするにあたって気付いたのですが,どうやら行きに登ってきたのは裏口だったようです。まあ別に裏口から登っても罰は当たるまい。大学じゃあるまいに。

階段を降りていきます 鳩がいたのでなんとなく
ズームで撮ってみました
こうやって見上げると
完全に城の石垣ですね……
塔頭 石段(結縁坂)を見上げる


 写真のところにも書いたとおり,石垣だけ見せられると城跡なのか寺院なのか分からないですね……と書いたところ,ふと,「そういえば信長が攻めてきたとき紀三井寺はどうなったんだろう?」という疑問が浮かびました。ここでミソなのは「書いたところ」というところで,つまり現地では何とも思わなかったのです。理由は後述。
 で,現地ではなくこれを書いているときに疑問がわいたので,必殺技「検索」を使うことができます。で,検索してみると,「春子」という名の女性が羽柴秀長から「焼討ち禁制」の書状取って紀三井寺を救ったとのことです。で,「春子稲荷」という春子さんを祀ったお稲荷さんが多宝塔の近くにあったようです。当然見落としております。ダメダメですね……。でも,なんでお稲荷さんなんでしょう?

紀三井寺の三井水


 紀三井寺の由来は,三つの井戸水が湧いているから三井+紀州の紀らしいです。三井寺とは関係ないんですね。
 というわけで,三井水がわき出ているわけでありますが,現代では生では飲めない水のようです。なので,ペットボトルを持って待ち構えている人もおりません。
 で,降りていく階段は結縁坂といわれているらしいです。いわれは下の写真の解説文の通りなのですが,観音様参りの男と神社の娘の結婚というエピソードが神仏習合の時代を思い起こさせますね。

 おそらく多くの人はここを上ってくるので,階段を上りつつ左右に現われる塔頭をお参りしつつ休みながら本堂を目指すのでしょう。裏からはいって結縁坂は下るだけのNPはその意味で塔頭のありがたみを感じることはできないのでした。


楼門を上から 塔頭 結縁坂のいわれ もう一回見上げる 楼門を下から 紀三井寺護国院


 そして,参道を歩いて続いての目的地は競馬場であります。

参道から楼門を みかん産地にはつきもののみかん専門店


 和歌山市は,バス網も非常にしっかりしており,各バス停には詳細な路線図も書かれている……のでありますが,予算が途中で力尽きたのでしょう,路線図が日に焼けて色が落ちて見づらい!!目的地に行くのにどのバスに乗ればいいのかが分かりづらい!不景気の折,バス業界が和歌山市に対して強い発言力を持っているとも到底思えず,かといって全バス停の路線図を張り替えるなんてそれこそバス会社自力では厳しいんだと思います。しかし,旅行者にとってはつらい……。
 ということで,競馬場まで歩きます。まあ競馬場に向かって長距離の徒歩行軍を敢行するのは珍しいことじゃないからこれはこれでOK。道中,紀三井寺のレンタサイクルもあるのでありますが,ちょっとこれからどういうルートをたどってどこで自転車が邪魔になるか分からなかったので自分の二本足で突き進むことにいたしました。

 そして,特に迷うことなく競馬場に到着!おおっ。東京もビックリの綺麗な大スタンド!紀三井寺は基本的に内馬場にスタンドがあるんですね!!

スタンド! 案内図! パドック?


 ……などと書いていて楽しいのは多分これを書いている人間だけで,読んでいる人からしたら下らなすぎて吐き気がしている頃だと思いますので,大人しく現実逃避をやめます。

 今は無き紀三井寺競馬場。僕が競馬を始めた頃には既に無くなっておりました。今でも覚えているのは,そもそも紀三井寺がどこにあるのかも分かってなかった頃,これも今は無き大井の佐々木の予想の佐々木さんが,「紀三井寺にいったら全レース当たった。あんな八百長してる競馬場は潰れて当然」という趣旨の話をしていたことであります。一体どこからどこまで信じていいのか分からない話で,これを見た紀三井寺関係者がこれを証拠に佐々木さん相手に(あるいはNP相手に)名誉毀損の訴訟でも起こさないか軽くヒヤヒヤしながらこれを書いております。まあ競馬で負けさせる八百長ならともかく勝たせる八百長をするのはかなり難しいのは事実ですので,その辺は話を100分の1くらいにして読み飛ばして下さい。
 そんなこんなで,紀三井寺競馬場跡地には現在和歌山県立医科大学が立派な病院を建てております。
 かつては税収面で和歌山の人々を支え,その後は病院に土地を提供するという形で和歌山の人々を支えているわけです。立派ですね。
 大通りから一歩はいると,今でもおそらくかつてはコースがあったとおぼしき道路がそのままの形状で残っております。
 誰かと旅行しているのであればここで色々馬鹿な行動を取ることも考えるのですが,いかんせん一人旅なので馬鹿なことをやっても警察に通報されるのがオチであります。素直に写真を撮るだけ。まあ,住宅地の写真を撮ってる時点で不審者なんですが。
 それにしても,そもそも紀三井寺がどっち回りだったかも調べずにきたので,コーナーが第何コーナーかも分かってないのであります。とりあえずNPは左回りに回っていきます。

コーナーへ コーナー
割と緩やか
逆から
バックストレッチへ バック 犬の糞は飼い主が
馬糞は競馬場職員が?
そしてコーナーへ
逆から コーナーを進む トタンの壁が若干競馬場らしさを残しているような気がしますが,
昭和製にしては新しいようにも見えるので多分競馬場とは関係ないのでしょう



塩田跡の碑文
平成11年建立


 前記馬頭観音石碑に書かれていたとおり,競馬場は塩田跡地に作られたものでした。というわけで,かつてこの場所に塩田があったことを示す石碑があります。
 で,となるとかつてこの場所に競馬場があったことを示す石碑を探すわけですが,そんなものありません。中間省略石碑であります。酷い仕打ちですね。

 それにしても,この病院の一区画に馬券売り場を作ったら入院して暇を持てあましている患者さん方の暇つぶしに一役買うのではないでしょうか。もし精神科があってギャンブル依存症治療に励んでおられる患者さんなんかがいたら大問題でしょうが。まあ,携帯から馬券車券舟券が買える世の中ですから……。


 というわけで,旧競馬場のコース跡を1周し,大通りに戻ります。バス停によってバスの時間を見てみますが,どうみても歩いた方がよさそうなので,さらに歩きます。競馬場跡地なんだから馬車くらい用意してくれ〜〜。

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