トネノマエバシその2

 さて,食事を済ませて後半戦。まずは,近くにあった神社から。大友神社という名前です。ここは,特段城に関するものはありませんでしたが(まあ,そんなに当たりは出ないな),横にお地蔵さんがいたり,馬頭尊の石碑があったりして,神仏習合期の名残を残す神社でありました。


大友神社 境内 横の石仏 二十二夜供養塔 馬頭尊

 さて,次の目的地は石倉城。てくてく歩いていきます。途中,電車の下をくぐる道があり,冠水注意がでかでかと出ているあたりに,利根川の恐ろしさを感じさせられます。



 そんなわけで,特段迷うことなく石倉城趾に到着。二の丸公園ということで,石倉城二の丸にあたる場所が公園になってるってわけですな。
 石倉城址碑は簡単に発見できました。公園の一角にででんと鎮座しております。福田赳夫元総理の筆によるものです。このあたりは福田さんの陣地なんだな。
 城趾碑の右には日焼けして訳が分からなくなった縄張り図。左には,「石倉城之記」という解説板。この手の黒い石に彫るタイプは読みづらくて困ります。しかも,ここのものは背が低いのでなおさら。こういう石碑は一般人に読んで貰うことを目的としてないのかもしれませんが,とはいえせっかく作るんだからもうちょっと読んで貰うための工夫があってもいいんじゃなかろうか。なお,こちらのブログに全て記載されていることが判明。素晴らしい。
 その縄張り図の裏側には,日焼けしていない鳥瞰図。表と裏とで全く縄張りが異なるように見えるのは気のせいですかね。
 まあ,いずれにしても,利根川で石倉城の遺構は洗い流されたらしく,利根川の恐ろしさを思い知る次第であります。

城趾碑は一段高い場所に 城趾碑 日焼けして
分からなくなってます
その裏側に鳥瞰図 解説 二の丸公園はこんな感じ
全体が二の丸だったのかは不明だけれど
全体を二の丸とするにはちょっと広すぎるようには思う
本丸方向に区画があったけれど,
おそらく本丸とは関係ないのでしょう
←の区画に
なにか看板がある,
と思ったら貸地の看板
山村暮鳥の句碑
昭和50年建立にしてはきれいなような
もうちょっと進んだあたりから対岸を

 さてさて。利根川を渡ります。利根川を歩いて渡るのは人生初だと思います。橋からは,グリーンドームがよく見えます。なんというか,競輪場に見えません。じゃあなんなのか,というとよく分からないわけですが。こういう形の建物ってほかにどういうのがあるんでしょうかね。

利根川 グリーンドーム
外観上は全然グリーン感がない

 さて。橋を渡り終えて,右手に見えますは前橋公園。かつての前橋城です。
 見下ろすと,想像以上に広い公園。そして,段丘になっております。これは城跡なのか,それとも利根川堤防跡なのか……。

 そして,当然あると思っていた,前橋城に関する案内板が……ない。
 なにかある!と思って駆け寄ったところ,公園案内だったり,あとは花燃ゆ関連で新設された記念碑だったり。こちとら,花燃ゆは全く見てないので(基本DVDでまとめて見る派なので,官兵衛も真田丸も2017年2月現在まったく見てないのではあるけれど),かつ,明治維新期の歴史知識がほぼゼロなので,楫取素彦さんの知識などゼロであります。それにしても,楫取なんて浅学な私には読めません……。どこかに寛仁親王牌の優勝杯を渡す像とかはないのかな??
 で,前橋城関係の解説文はないんでしょうかね。ネット見てると案内板の写真がどこかにあることは明らかなんだけど。

 下の噴水・水上ステージゾーンから芝生広場に上っていくあたりに大きな土塁はあるんですが,ちょっとこれは近代的なので旧前橋城遺構ではなさそうだな……。前橋城には土塁が残っていると聞いたのだけれど,どこにあるのだろう?


川沿いの一段と低いスペース
噴水・水上ステージゾーンであります
公園案内図 一段上ると芝生広場
防府競輪場と前橋競輪場が提携した結果
梅が送られた,という訳ではなさそうです
楫取素彦さんの足跡 碑自体は撮り忘れましたが
(左下の写真の左隅だな)
楫取素彦氏の碑の説明
楫取夫人より荒井領一郎へ吉田松陰形見の短刀を託す像 建立趣意書 楫取さんが文を書き,松方正義(さすがにNPでも知ってる)の
題字による,宮崎有敬さんの記念碑

 で,とりあえず,このあたりを前橋県庁から見下ろすことがネットでお勧めされていたので,県庁に向かいます。すると……土塁発見!ああ,これだこれだ。なんとも立派な土塁ではないですか!立派すぎてなんか(なにかいじられてやしないか)不安になりますな。
 なお,この土塁には上ることが出来ません。なんか上り下りすると楽しそうな土塁ではあったんですが,遺跡保護+駐車場に向かって駆け下りて車と激突する人が出そうなので,やむないところ。

 さて,若干迷いながらも,県庁最上階展望フロアに到達しました。
 そこは……お城マニアも,競輪ファンもお呼びでない,まさに親子連れがたくさんいる賑やかなスペースでした。ちょっとこれは想定外。週末だったのがいかんかったのだろうか。確か駿河城にいったときに静岡県庁かなんだかの展望台にのぼったときは人がずいぶん少なかったようなおぼろげな記憶なのだが。
 で。上から見下ろした前橋城趾は……正直よく分からん。まあ見下ろす形だからそもそもアップダウンが見づらいのと,やはり縄張りは基本的に破壊されていて,どこまでが遺構なのかよく分からない。ただ,利根川に洗い流されて凸凹が減ったのだろうな,というのはなんとなく伝わってきました。

こっちは芝生広場と
下のスペースとの間のもの
県庁へ向かうと,
土塁が見えてきた!!
ザ・土塁であります 県庁を見上げる


土塁!! 東方向 北方向を北西〜北東へ
北東奥に見えるのが赤城山系みたいです
赤城おろしの場所だけあって
強風に注意であります
駐車場内側から見る土塁 虎口

 さて,外に出まして,東照宮を目指します。その途中,前橋城跡の碑入口があったので,上ってみました。なんというか,碑が好きな地域なんですな。まあせっかく作った以上読んで貰わないと宝の持ち腐れであります。そして,ここだけ土塁に上ることが出来るというシステムであります。今は木の中に隠れておりますが,全盛期はもうちょっと見晴らしのいい場所だったのではないかと。つまり,全盛期の土塁はもうちょっと違った見た目だったのではなかろうかと。

入口 前橋城跡之碑とその解説 こっちはよく分からない 南方向 西方向

 て,ことで,東照宮です。群馬にも東照宮があるんですな。あれ,もしかして護国神社的にかなり広くあったりするのだろうか。それとも松平系や譜代の藩の城下町だけだったりするのか。昔どこかの東照宮で東照宮の本を買った記憶があるけれど,1ページも読んでないな…。ああ,あれは岡崎だったか。



御由緒 ここはポケモンOKです 境内 手水
ここは柄杓を使わない方式です
拝殿 神社の文化財 はらい川

 さて,続いては,群馬名物焼きまんじゅう
 前橋城からほど近くにある,原嶋屋総本店へと向かいます。事前情報ゼロで乗り込みました。この日は店内での飲食はできない日でありまして,皆さんテイクアウトのために大量に購入されております。一人で来て1本だけ買って帰る奴など私一人しかおりません。
 待合室?では,県民SHOWの録画がエンドレスで流れておりました。

 で,もう一回公園方向に戻り,日本庭園に向かって降りていく場所(枯山水になってるので,日本庭園の一部なのかもしれない)で焼きまんじゅうを食べました。なんの事前知識も無く口にしたので,「まんじゅう」という名前から出てくるパンのようなふかふかした食感にびっくりです。味噌のにおいの香ばしさと,口にまとわりつく味噌の味噌味噌した感じが好きな人にとってはたまらないのもよくわかります。それにしても,これがまんじゅうと呼ばれるのか。いやはや,日本は広い。逆に,群馬県の人が他の場所に行ってあのちっこくてかちっとした密度の濃いまんじゅうを食べたらどう思うのだろうか。

ザ・昔ながらの外観の
原嶋屋総本店
工事中の臨江閣を裏から 平井晩村句碑 枯山水庭園 焼きまんじゅう
ぱっと見大きくて,どうなることかと思った

 さてさて。そんなわけで,まんじゅうを食べて満足したので,あとは庭園を歩くことにします。臨江閣は工事のために閉鎖されておりますが,その前にあるお庭は散策することが出来ます。この日本庭園は,検索した結果発見したパンフレットのPDFによると,2008年の緑化フェア開催時に新設されたものだとか。案外新しいんですな。
 群馬県庁以外に高層ビルがないので,バックに近代的な建物が映り込まないからよいですな。


 最後に,前橋城に関するなにかがないか,もう一度公園内を探します。・・・・・・ありませんでした。時間がもったいないので,競輪場に向かうことにします。

群馬日野自動車の記念事業

 てことで,グリーンドームへ。

 なお,あとで色々検索したりした結果,おそらく何らかの解説は車橋門付近にあると思われます(市のページ)。ついでに,マンション建設か何かのときに調査した形跡も発見。あと,ここによると,虎姫観音堂付近にも案内があるようです。むぅぅ。やはり予習は大事だ……

前橋その1前橋競輪


旅行記TOPテーマ別