ミツノミナトヤマ

 三津の方に用事ができたので,ここしかない,と思い,歩き回ることにしました。三津というと,じもてぃー的には「ガラが悪い」ということのようですが(まあ,港町だから多少はね),この日は街中で写真撮りまくっていても絡まれることなく帰宅いたしました。

 さて,伊予鉄三津浜駅を出て(昔の面影を残しつつ改築した建物ですが,確かいつかどこかで写真撮った記憶があるので今回はパス。ただ,探しても写真が見つからんぞなもし),ふらふらと歩きます。GoogleMapに,「ポンジュース発祥の地」が載ってたので気になったのです。
 気になりついでに,ふと横を見たら中須賀温泉という銭湯発見。ここに銭湯が無いのは知ってたので,廃業されたのだろうな,と思いながら接近しました。「明日休み」の案内が今も残っているあたり,なんかリアルですね。「また明後日お待ち致します」の表示が残っているのが興味深いというか,突然廃業した感があるというか,なんというか。

 そして,期待のポンジュース発祥の地は,公園の一角に碑が立っているというもの。
 どうも,ここからみかんジュースが湧出したという曰く付きの場所らしく,実は今も枯渇していないにもかかわらず,その事実を隠すため,えひめ飲料はこんなページをつくってかつてここに工場があったなどと述べ,ポンジュースの秘密をひた隠しにしているようです。それにしても,愛媛を代表する飲料のくせに,やけにひっそりと立ってますね。創業者の顔くらいあっても不思議じゃ無いのに。

 さらに。もう1つ,愛媛を代表するものといえば,カールです。いや,本来であればまったく代表していなかったはずなのに,明治製菓がカールの販売を休止……するには忍びなく,ラインの空いていた四国明治の松山工場に製造拠点を残してしまったため,四国明治もこんなページを作ったりして突然四国明治の名産となってしまったのです。そんなわけで,でかでかと宣伝されているカール。私のようなアラフォーおじさんにはカールに四国松山のイメージゼロですが,令和生まれの皆様にとっては,四国でなぜか作られているご当地お菓子のカールが,実は過去に日本を席巻していた,ということを秘密の県民ショーかなにかで見てびっくりする感じになるのでは無いでしょうか。それまでカールは残るのか。令和の時代に明治よ頑張れ。

「明日休み」が印象的です ポンジュース発祥の地 四国明治 空港にもこんなのがあります

 さてさて。港山を目指して歩いていきます。線路脇で畑仕事をされている方を発見。写真で撮ったら悪いかな,と思いつつ,遠目に撮ってしまいました。伊予鉄が用地買収しきれなかったのでしょうかね??

 で,港山駅を横目に,港山城を目指します。登城口には,GoogleMapにて「こそだて地蔵」との案内が出ている,お地蔵さん。

フェンスの中で
農作業中の方
港山駅 お地蔵様 脇の石仏?

 で,脇の階段からのぼっていきます。三津方向の入江を見下ろすことができるのは,中腹まで。途中からは中に切り込むことになり,下を見下ろすことができなくなります。まあ,遠方を見張る必要があるとすれば,三津方向では無いでしょうからね。

なんの碑かは
分からず
解説。英訳もあります。
英語も分かりやすいんだけれど,「3つの郭」を
"three buildings"と訳すのは誤りですな
海外から城マニアが来たら,現存建築物を探しちゃうぞ
登ります! 中腹からの三津の港の眺め

 で,この中腹部分に,郭とおぼしき平坦な部分があります。
 ここが監視機能としてもいい位置の郭でありますな。

奥側から 上へ 上から

 そこから登っていきます。一本道です。竹の中を抜けていく感じで,気持ちよいですな。
 途中,石垣があって折れ曲がります。ぱっと見,新しい石垣なのでは無いかとは思いますが,ここにこれだけの石があるのも不自然ではある。はてさて,どうなのでしょうか。

竹の中を進む 折れ曲がりを下から上から
門があっても良さそうな土の盛り上がりはありますが……
さらに竹の中を進む 上から もう1つ石垣のある場所

 そんなわけでして,ちょっと登ると、山頂?に出ました。開けます。おそらく,ここが本丸というか,主郭というか,まあ名前はさておき,メインの場所です。
 平坦かつ,思ったよりも広いです。ちょっとびっくり。そして,ここまで開けているとは。これは,当時の遺構がこうだった,というべきなのか,港山の公園機能としてここまで開けさせたのか,ちょっと分かりません。いずれにしても,ここに建物を建てようと思ったら何軒も建つレベルの,非常に広い本丸であります。
 そして。ここには想像以上の家族連れ。完全に公園です。まあ,ベンチの数は2つか3つ程で,そこまで多くの人を支えられるような場所ではありません。桜の木があるわけでもなさそうで,花見の場所,という感じでもないでしょう。近所の人が,見晴らしのいい高台に散歩しに来る,そんな地元の憩いの場であります。こんなところでボール遊びでもしてボールを下に落としたらえらいこっちゃですしね。
 そんな家族連れの中に,スーツ姿の中年オヤジが一人割り込む,という展開は,まあ慣れてはいるんだけれどやはり心苦しいというか恥ずかしいというかなんというか。
 で,ここまで来ると,海側の眺めが開けます。正面に興居島が見え,興居島まわりから上陸してくる勢力を発見可能。当時,木がどのように植えられていて視界がどうなっていたのかは分かりませんが,ここに物見台があれば,相応に海路の監視は可能なように思われます。他方で,三津側も監視可能であり,非常にいい立地なのは分かります。
 建物の基礎等の跡は無いようなので,実際にここにどういう建物が建っていたのかは分かりませんが,これだけの広さの土地があればなにかあったんじゃなかろうか。

本丸が見えてきた 本丸! 海側の眺め
三津の街並み側。木の合間からの眺めはよいですな
昔の木の並び具合がどんなものだったかは分かりませんが
虎口に向かって戻っていく 折れ曲がりながら
おりていきます

 そんなわけで,港山城の探索終了。怪しい中年スーツオヤジが土曜日にふらついているというなかなかな状況でしたが(今思えば,自殺志願者に見えなくも無いな。まあ,これから自殺する奴が写真パチパチ撮らないか),通報されることもなく終わりました。

 で,三津の渡しに向かってふらふら歩いていきます。
 すると,洗心庵跡,という場所を発見。このブログを見ると,昔はここにもっとしっかりした案内があったようです。まあ,そういうのも時代の流れ。昔は尼寺だったけれども,廃仏毀釈の流れ等の結果,廃寺となったようです。

洗心庵 河野氏について 洗心庵について お不動さん 三津の渡し

 で,三津の渡し。
 ブザーでアピールしないと,渡し船の方が困るようです。すいませんでした。

 短距離の航路ですが,水の上をぷかぷかと動けるのは非常に気持ちよいですな。いや〜,爽快爽快。

乗り場 向かって左 渡船が動いております 船に乗りました
港山城への道 渡しの由来 水道の様子 渡船が対岸へ向かう 運航時間

 続いて,三津の街中を歩きます。
 歴史的建築物が並ぶ感じですな。前に歩いたときよりも,街並みがきれいなってるような印象ですが,はてさて。

鯛飯の鯛や 旧問屋街 建物に絵がかかれております 郵便局

 で,ここまで歩いた汗を流そうと思って,満を持して乗り込んだだるま湯がまさかの閉店。毎度あとから見れば良かったと後悔するこちらのサイトによると,2018年9月に廃業したとのこと。半年遅かった!無念。

だるま湯

 でも,「明日休み」が残る中須賀温泉跡に比べると,まだなんかひっそりと廃業した感がありますね。
 「閉店」というのは,普段から営業時間外にぶら下げていたのか,それとも廃業した際に新規に下げたのか,どちらなのでしょうか??

 まあ,そんなこんなで前半戦終了。入る予定だったお風呂に入れないってのはなかなかにショッキングであります。しずかちゃんだったらショック死してるかもしれない。

三津競馬場跡へ続く


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