エチウノホウジョウ

54 放生津城

 高岡城をあとにして、いよいよ最終目的地、新湊まわりをめぐります。
 まずは、放生津城跡地へ。

料金表 車内の様子 車窓 到着 中新湊駅


 「放生津」というのは、字面だけはどこかで見たことがあるような気がします。気がするだけのような気がしますが。
 Wikipediaで見ても、あまり説明はありません。なんとなくですが、放生津八幡宮でおこなわれていたとされる放生会が字面として見覚えがあったのかもしれないな。

 で、Wikipediaが簡素なためにあまりこの地の重要性が伝わってこないのですが、越中の守護所が置かれていたようですし、津と名前がつく以上湊として古くから漁業や海運がおこなわれていたのでは無いかと思います。

 守護所が城となったのが放生津城。北条時有最後の拠点として、太平記にも取り上げられたようです。
 越中は守護が畠山氏、守護代が神保氏ということですが、信長の野望史観だと「どっちも気付いたら消えている」という具合でありまして、あまりイメージがわきません。この地のピークはおそらく10代将軍足利義材が当地に逃れてきた時のことだと思います。はい、もちろん足利義材なんて知りませんでした。というか、読めませんね。「よしき」です。ATOKさんも対応していません。のちの足利義稙さんのことでして、こっちは自分も知ってるし、ATOKさんも対応してくれます。
 この明応の政変については知識はゼロなのだけれど、花の乱を見たら少しは知識が身につくのでしょうかね?

 道にあった「カモン」ちゃんは、どうも旧新湊市のマスコットだったようで、射水市に吸収されたときに字面に埋め込まれてしまったのではないかと思われます。今「カモンちゃん」で検索すると、案内されるのは滋賀大学のマスコットばかりで、「カモン」の名前は「道の駅カモンパーク新湊」に残っている程度のようです。

 放生津城跡は現在学校になっており、記念碑が建っているまわりには土塁があります。この土塁が引っかけで、遺構でも何でも無いトラップであるということはよく知られております。

周辺案内図 踏切から両方向 カモンちゃん 放生津城解説板 城趾碑。「城趾」の文字が道路側を向いていないのが特徴
放生津城跡地 強いからだ
やさしい心
はたらく力
いろいろ建てられています 卒業制作です 逆側から
土塁が城と無関係
というのがなんとも驚き

 というわけで、遺構がない以上、記念碑と解説板を眺めておしまい、ということになります。

55 放生津街歩き

 これで終わってもよかったのですが(ここに行った時点では放生津に関する知識もなかった)せっかくなのでちょっとだけぷらぷらします。今にしても思えば、ちょっとだけぷらぷらするなら放生津八幡宮に行けばよかったのですが、知識も時間がなかったので行きませんでした。

 まずは、名前に城の香りが残る、二の丸橋です。この橋の先が二の丸だったのか、橋の手前(記念碑側)が二の丸だったのか、はたまた二の丸を貫く形で運河を通してそこに架けた橋を二の丸橋と呼んだのかは分かりません。

二の丸橋 運河脇から見る二の丸橋 逆側を見る

 続いて、放生津橋。こちらには、足利義材の像があったりして、放生津の全盛期を忍ぶスタイルになっています。
 ここでちゃんと解説を読んで検索していればよかったんでしょうが、「旅行中は写真だけ撮ってあとから旅行記書きながら復習する」というスタイルでやっているので、こういうときにみどころを落としてしまうのであります。

放生津橋 運河の眺め 足利義材の像 これは船?
真ん中で馬に乗ってるのが足利義材でしょうか? こちらは馬に乗っている足利義材 解説

 で、お地蔵さんと神社に挨拶をします。

中新湊の地蔵堂 愛宕社賽銭を入れる穴が上の方についているのは、雪の影響でしょうか?

 続いて、法土寺町の曳山格納庫。曳山についての詳細な解説もついております。これだけ曳山を大事にしているのだから、放生津八幡宮のお祭りの盛大さが分かりますね。放生津八幡宮まで行かなかったことが今更ながら悔やまれます。

法土寺由緒 公民館前のお社 曳山格納庫 曳山の解説。詳細+新しく作られているのが分かります

 さっきからやけに目立っていた橋が、東橋。スペインの建築家、セザール・ポルテラ氏の設計による橋だとのことです。誰やねん、という話になりますが、日本語のWikipediaどころか英語のWikipediaもありません。とはいえ、スペイン語のWikipediaはありますし、ドイツ語その他の言語のWikipediaもありますね。なんで英語がないのだろう。
 ちなみに、セザール・ポルテラ氏個人のウェブサイトもありますね。彼のコンテスト受賞歴を見ると、1992年に利賀村のコンテストに、1993年にこの東橋のコンペを受賞したことが載っています。このころに突然富山に登場するわけですな。というか、他に彼が日本の作品に関わった形跡はありません。そりゃ日本語Wikipediaがないわけだ。何があったのだろうか。
 こちらのブログによると、どうも、富山県は1990年から富山県まちのかおづくりプロジェクトなるものをやっており、外国人建築家と共同で町の名物になる建築物を作ろうとしていたようです。バブルの名残が感じられるプロジェクトですね。こちらのサイトにつくられた建築物の一覧がありました。そういえば、昨日見た常願寺川のささやき橋のときにもこのプロジェクトの名前を見たな。行ったのは昨日だけれど復習しているのは数ヶ月後なので、もう記憶がはちゃめちゃです。
 なお、我らがGoogle師匠は「まちのかお事業」で検索したら「おかしのまちおか」をトップに出してくれました。私の趣味趣向を完全に理解していますね。

放生津橋からみる東橋 接近します 解説 映画のロケ地になったようです 橋の様子

 まちのかお云々はどうでもよいとして、この地域の運河とともにある空気感というのは非常にいいですね。台風やらなんやらのときに増水して洪水にならないかは心配ですが。

東橋からの眺め

56 富山県営渡船(越の潟〜堀岡)

 いよいよ射水市に別れを告げて、富山市に戻ることになります。
 昨晩立ち寄って越の潟に再度乗り込みます。

 駅前には、県営渡船がお待ちかね。新湊大橋ができましたが、今なお現役。Wikipediaこちらのサイトなどを拝見するに、富山新港を造成した結果、富山地鉄射水線が分断され、放生津まわりの交通の便が悪化したので、住民サービスとして無料で24時間の渡船を提供するに至ったようです。一口に港をつくるといっても、東京湾のように海上に埋め立て地を作って整備できればいいのでしょうが、日本海側だとそうもいかないのでしょう。
 新湊大橋は昨日上にのぼるところまではいきましたが、まあここを渡るのだったら渡船を使った方が圧倒的に便利ではあります。ただ、今となってはここを渡る需要、おそらくは万葉線の越ノ潟駅に接続して高岡市内へと向かう需要が対岸側にどれだけあるのか、という問題になるのでしょうね……。

 そんなわけで、越ノ潟駅に到着。駅名は「越ノ潟」、渡船の発着場には「越の潟」とありますが、どこまで厳密に使い分けがなされているのかは分かりません。

越ノ潟駅に到着
今日は明るいです
案内図 越ノ潟駅 発着場
待合室はこちら 待合室内の案内
乗船者への注意書きを見て分かるとおり、ここも2番目に出てくるのはロシア語です
待合室を出て左を見ると
新湊大橋が見えます

 のんびりと出発時間を待っていると、もう1本電車がきました。これに接続して出発、という流れになります。

富山新港案内図 人を待つ「こしのかた」 越ノ潟駅 電車到着 乗船開始

 というわけで、乗船。

船内の様子 陸地に別れを告げる 船から見る越の潟発着場
上部甲板へ 上部甲板 避難図

 乗船時間は3分程度と短いので、観光客としてはその短い時間の内に内部の写真を撮って、景色の写真を撮って……と慌ただしく活動しなければなりません。本来的には市民の生活の足として富山県が無料で維持している路線で、こんな慌ただしくあちこち動く奴がいたら、はっきりいって邪魔ですね。観光客からは1回1万円くらい取った方がいいんじゃないでしょうか。そんなにするなら乗らんけど。とはいえ、お金を扱うとなるとそれ相応の準備や対応が必要になってしまい、かえってコストがかかるので、募金箱的なものを置いておく程度ならいいんでしょうか。

 閑話休題。

 慌ただしい観光客は慌ただしく写真をパチパチ。
 いやほんと、たった3分の船旅ですが、景色はいいし、風もいいし、素晴らしいです。これが無料だなんて、本当にありがたい。


 あっというまに、対岸の堀岡に到着です。
 船だとあっという間ですが、ぐるっと歩いて回るなり、新湊大橋にのぼって歩くなりすると結構な時間がかかるでしょうから、便利は便利です。とはいえ、どちらも船着き場まわりに店があるわけでもなく、上にも書いたとおり越の潟から万葉線に乗って高岡市内なり伏木港なりに行くことを想定してるのだろうかな。あるいは越の潟からフェリーで渡って、赤十字病院へ、というお客さんもいるのかな。

降ります 写真撮ってないで
早く降りろ、と言う声が
聞こえてきそう
で、他の客より
早く降りてるんだから
慌ただしいことこの上ない
対岸を見る 「こしのかた」号
お疲れ様でした!

57 堀岡発着場

 堀岡発着場から富山駅へと向かうバスまでは30分ほど時間があるので、ちょっとだけぷらぷらします。まあ、このあたりには特に観光名所があるわけでもないので、神社にお参りして戻ります。純粋に不審者ですね。賽銭泥棒を企む輩だと間違われて通報されないか心配になります。

発着場 待合室
(暗かったので明るさいじった)
遠くから 夜間の代行バスの
時刻表
こっちが路線バス 一応、簡単なバスの待合所はあります
ただ、真冬の富山の寒さをここで耐えられるかは……
周辺案内図 橋の方向を見る 中古自動車販売解体業者
進出絶対反対!!
近くにあった猿田彦神社に寄ってみました
(ここくらいしか行く場所無かった)
蜘蛛がいました
山車か神輿か曳山か 温故知新 改築記念 神社前から
橋が美しい
バスで見つけた
バス協会のゆるキャラ
セバスちゃん

 そんなこんなで、帰りは元気に新幹線で帰ります。北陸新幹線のおかげで富山も近くなりました。思えば、夜行バスで乗り込んで、路面電車を使ったり路線バスに乗ったり、自転車がらみの施設に行ったり、船に乗ったり、最後は新幹線と、それなりに乗り物に縁がありましたね。
 肝心の開催中の競輪場に行き損ねたので、また戻ってこなければならないのですが、それは楽しみが残ってよかったと前向きに考えることにします。


 前向きに考えたところで、富山に再訪するのは2020年、コロナ禍ですが、1人旅なので許して貰いたいところであります。


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