2010長崎写真記

 2010年のゴールデンウィークは,佐賀競馬攻略を主目標としつつ,長崎〜福岡を攻めました。
 これを書いているのが2015年で,2010年というとすでに5年前であり,もはや昭和は遠くなりにけり状態なのであります。てことで,旅行記ではなく,自分が撮った写真をもとに過去を振り返るという写真記として,世界の皆様の目に触れるものをアップしたい所存であります。

 で。いきなりなんですが,どうやって長崎に入ったのか,全く記憶にございません。なんとなくの予想として(自分の過去のことなのに「予想」ってなんやねん,と我ながら反省するわけですが),おそらくバスで長崎入りしたんではなかろうかと。で,バスはどこから来たかというと,たぶん博多です。じゃあ博多までどうやっていったかというと,おそらく例によって例のごとく,夜行フェリーで小倉,小倉から電車かバスかで博多,という流れではなかろうかと。もうわけわかめ。他人に聞いてわかる話でもなく,全くもって過去が不明です。いいのかこれで。

 なぜ電車でなくバスだと推理したかというと,写真が高架橋の上から始まって,それから駅の写真になってるからです。駅出発じゃないってことですな。自慢げに推理を開陳する場面じゃないのはわかってますよ。そんなわけで,駅回りの写真からスタートであります。気分は加山雄三のゆうゆう散歩です(この当時この番組があったかは知らない)。

上からの眺め 面白いポストがあったので
とりあえず撮ってみた図
たぶん大河ドラマで
福山の坂本龍馬をやってた頃
長崎駅

 まずは,いかにも長崎,という日本二十六聖人殉教地へ。秀吉によるキリスト教禁令の理由については諸説あるようですし,キリスト教徒側も真っ白なのかはなんともいえんところではありますが,いずれにしても,こうして遠路はるばる日本まで来られて自分が信じるもののために亡くなった皆様方には頭が下がる思いであります。
 とまあ,頭は下がっていてもこんなところに行ったことを完全に失念しておりまして,いまさらながらにこの後ろにそびえる2本の塔の立ち姿が面白くてなんともいえません。これは二十六聖人記念聖堂という建物のようです。ここによると,設計者さんはガウディを日本に紹介した方のようで,ガウディの影響を受けた双塔,ということのようです。へぇぇ,ガウディの影響なのか,などと知った風なことをかけるとうれしいんですが,残念ながらガウディは名前しか知らんのであります。
 写真がないのは,単に内部撮影禁止だからなのか,それとも中に入ってないからなのか,もはや記憶の外であります。記念資料館には確実に寄ってないかとは思います。


 続いて,そのまま坂の真ん中を歩いて進んでいきます。
 途中,サンラザロ病院とサンジョアン教会跡。先日(=2015年)フィリピンでサンラザロ競馬に行ったので,「サンラザロ」という言葉には敏感なんですが,検索してもこの「サンラザロ」さんがどこで何をした方なのかよくわからない。日本語で検索するとサンラザロ病院が出てきて,英語で検索するとフィリピンの競馬場が出てきます(←自分のPCのせいな気もする)。まあ,もうちょっと検索ワードに気を遣えば(競馬を外すとか)いいんでしょうが,残念ながらサンラザロさんにそこまでの思い入れはないのでありました。
 聖福寺はなにか行事とのことで中には入れませんでした。「明日なら」というお言葉を伺ったのを覚えております。なんの行事だったか忘れましたが,まあ,お寺なんだから法事かな。今「長崎 聖福寺」で検索したら,修復募金のページが出てきました。なかなか維持管理に苦労しておられるようです。

BOSSって九州でしか
100円にならないの?
勝海舟寓居の地 サンラザロ病院とサンジョアン教会跡 聖福寺

 続いて,諏訪神社。一般的な名前の神社で,正直あまり期待してなかったのですが,実はなかなか面白いものがたくさんあってテンション上がりました。なお,面白いものがたくさんあったのですが,上がったテンションはさくっと低下したため,面白いものがたくさんあった記憶は遠くに吹っ飛んでおり,ああ,こんなにいろいろあったんだ〜,などと感慨深く写真を眺めていた次第であります。復習は大事ですね。

鯉のぼりがはためいております 病魔退散オークス 階段を上って境内へ 一番札
よくわからんけど,毎年こどもの日に
幼稚園児と小学生がなにかを
やってるのではないかと
拝殿へ 胸板の厚い狛犬さん 神馬 由緒 拝殿
止事成就狛犬。足にこよりを巻き付けるといいようで,狛犬の足がすごいことに。
なお,特に前足指定はないのですが,みんな空気を読んで前足に結んでおります
高麗犬の井戸
長崎公園の噴水を復元
公園等の装飾用噴水としては日本で最も古い,とのことですが,本当でしょうか
兼六園の噴水がなにがしかの理由で日本最古とか言われてたような記憶がありますが,
あれは装飾用ではないのかな??
願掛け狛犬
蛭子社。左右にはカッパさんがおられます。阿型のカッパの顔が邪悪に見えて仕方がない 稲荷社
奉納されている狐の造形がなかなか趣があってよいです 厄難よけ蛙岩
「スゴイ」でしょう,という解説がいいですね!
なお,個人的にはカッパの方がインパクトあったかな・・・
見下ろす 見上げる
石鳥居が重厚
こちらも重厚な狛犬

 てことで,諏訪神社参拝終了。多種多様な狛犬があってなかなかよかったです。
 続いて長崎で最も有名な観光地の一つ,眼鏡橋へ向かいます。眼鏡橋なんて日本全国あちこちにありそうなもんですが(と書きつつほかに諫早しか知らんけど),なぜここまで有名なのか。はりまや橋にしてもそうなんですが,みんなそんなに橋に思い入れあるんですかね??と冷めたことを書きつつ結局行ってしまうミーハーであります。と思って,ふとWikipediaを見てたら,ちゃんと一般名詞としての眼鏡橋の項目がありました。で,これを見ながら,そういえばいなべで眼鏡橋を見たことを思い出しました。あそこは3連眼鏡橋で,これのどこが眼鏡なのかとかくだを巻いておりました。うむ,完全に忘れてた。
 なお,どうやってここまで移動したかは記憶にないですが,たぶん徒歩。

 てことで,中島川に到着。解説によると,貿易用の人工の河川とのこと。さすが貿易港長崎ですね。当時はこの程度の川幅で十分だったのでしょうな。深さはどれくらいなんだろうか。
 子河童のぼんたくんってのがおりまして,さっきの諏訪神社も含め,このあたりは河童が多く生息していたようですな。「河童」が仮に想像上の生き物であったとするならば(仮にですよ仮に),この想像ってのはどうやって全国展開したのだろうか。柳田国男的なものを読んだら河童やつちのこの分布がわかるんだろうな。
 それより。昭和57年の大水害ってのを知りませんでした。Wikipedia情報では死者不明者299名とか。とんでもない大惨事だな。まあ,こういう地形だから水がたまりやすいんだろうな……。おそろしや。

子河童のぼんたくん 中島川 共楽園
行くことも少し検討してたけど
行列見てすぐにあきらめた
袋橋
袋橋 袋橋から見る眼鏡橋 日よけ地蔵などなど 黙子如定の像
眼鏡橋。
眼鏡の英訳ってGlassesしか知らなかった。
Spectaclesっていう訳があるんですな。
長崎名物チリンチリンアイス
高知のアイスクリンに似た雰囲気のお店ですが,アイスの盛りつけが違いますね
下でも渡れる

 続いて,興福寺。
 実はですね,なんで今更2010年の写真をまとめようと思ったのかといいますと,この興福寺の名前が出てこなかったからなんですね。長崎の国宝というと大浦天主堂とともに崇福寺の存在が知られております。で,自分の記憶として,この崇福寺には時間切れで行けなかったことになっていました。ですが,似たような名前のお寺に行った記憶がある。むむ,じゃああれはいったい何だったのか。もしかして崇福寺行ってた?などと記憶がごちゃごちゃになっており,これじゃあいかん,ってことで,長崎の旅行記をまとめておきたかったのであります。
 さて,そんなわけで,興福寺。自分の記憶はこの寺院が隠元さんゆかりのお寺であること,そしてこここそいろいろあって面白かったことの2つです。前者は,インゲン豆の由来が隠元和尚だということを知ったのがここだったので記憶に残っておるわけであります。
 あと,いまさらここのホームページを見ると,「黄檗宗発祥の地」という言葉が目に入りました。そもそもとして,黄檗宗ってなんか何かと目にするのに,平安仏教でも鎌倉仏教でもないために学校で縁がなく,いったいなんなのかさっぱりわかっておりません。そもそも読めないしな。隠元さんと黄檗宗の関係もついさっき知ったわけで。とりあえず未来の自分のためにWikipediaのリンクをここに残しておくことにします。


山門 初登宝地 大学門
鐘鼓楼。入り口が左に寄っているんですな。 金堂
唐人屋敷門 まそ堂。まそが変換できなかった。 氷裂式組子
魚板 三江会所門の豚返しの敷居

 それから中華街へ。途中,昼食がてら豚まんと角煮まんじゅう。どうやって中華街に移動したのかやはり記憶にない。写真を見直すと,豚まんから中華街入り口まで20分あるので,歩いたんだろうと思われます。よぅやりますわ。

豚まん 中華街へ 角煮まん

 そういえば,長崎に寺院が多い理由(なお,当時の自分としては多く感じた,というレベルの話で,実際に人口比・面積比で多いのかどうかは知らない)は,「キリスト教が禁止になって以降,キリスト教徒と疑われないために寺院を積極的に建立したから」であるという話をどこかで聞いたのですが,どこで聞いたのか思い出せません。どこだったのだろうか。

 てことで,長崎後半へつづく。いよいよ出島です


出島へ

旅行記