島原旅行記 その2〜島原城

6 島原城石垣&水堀

 さあ、石垣が見えてきました。島原城です。さすが松倉重政が重税を課してまでしてつくりあげた城です。石垣も水堀も立派です。この石垣にも水堀にも、当地の農民の血と汗と涙がしみこんでいるのであります。

正面に見えてきた石垣と櫓、そして水堀

 正面奥に見えるのが天守なのは私のような素人でも分かりますが、手前の櫓が何者なのか分かりません。というわけで、あとで入手するパンフレットをここで先出し。


 ……はい、なかなかに時代を感じるパンフレットで非常に分かりづらいですね。2023年1月時点の島原城のホームページだと、島原城パンフレットが現在準備中表示になっておりました。ううむ、改良されていると期待したい。
 結論からいきますと、手前に見えているのが巽櫓。現在、西望記念館として活用されております(西望記念館なのに名前に反して東南方向を向いている巽櫓であるというのがなんとも)。右手奥に見えるのが丑寅櫓。ここは現在民具資料館として活用されております。Wikipedia情報によると、巽櫓は1972年、丑寅櫓は1980年、このあと出てくる西の櫓は1960年、天守は1964年に復元されたとのことでいずれも現存遺構ではなさそうです。

 とりあえず、本丸を目指して堀端を歩きます。南堀端、という3文字を見ると松山を思い出してしまいます。この「堀端」という用語、日本中で使われてるのだろうか。江戸城の堀まわりで聞いたことがない気がするのだけど。

南側の水堀 石垣 拘置支所
何をそんなに怖れて
写真を撮ったのだろうか
あらためて石垣

 そんな西南。いかにも櫓台な櫓台を見つつ、本丸に入っていきます。この本丸入口、こんなに正面から本丸に入れていいのか見てて不安になりつつ、でも今自分が居る場所も曲輪だったんだろうからこれでいいのかな、とか思ってたのですが……あらためてWikipedia上の古絵図を見ると、今の本丸入口の場所には橋はなかったようですね。
 西南の櫓台の上に西の櫓があるのですが、櫓台の大きさと釣り合ってない上に名前も坤櫓とかじゃないのは何故なのだろうか。古絵図を見る限り、ここに3層の櫓があったことは間違いなさそうだけど。

西の櫓の櫓台と、まわりの水堀
水堀解説 本丸への道 おそらく石垣を壊して
つくった通路です
簡単な虎口構造になってます
反対側の堀
石垣の折れ曲がりが素晴らしい
天守への道

7 天守

 本丸に入ると、本丸は駐車場となっており、コンクリートで固められております。役所的雰囲気が漂います。
 そして、目の前には5層の天守。時代は異なりますが、松倉重政さんが住民に重税をかけてつくりあげた立派な天守を模した、復元天守であります。案内板の「島原城由来」だと、そのへんをふわっとさせて「有馬氏時代からの海外貿易の利益と、松倉氏の新興大名としての意気込み」という表現にしています。意気込みという意味では確かに間違っていない。このあたり、解説者さんの苦悩がうかがい知れます。

案内板 案内図
パンフレットの絵よりは
分かりやすいと思う
島原城由来 天守。正面左側にぽっかり入口があるのはどことなく宇和島っぽい
ネコがいた

 天守に入ります。基本的に展示は撮影禁止でしたが、1階部分と最上階の展望のみ写真可能という感じです。
 途中階は例によって博物館になっているのですが、日本の城にキリスト教系の展示物が多くある、というのがイレギュラーでとても興味深かったことを覚えております(具体的な展示物については記憶にありません)。

入場券 特別展 木蝋圧搾器
木蝋圧搾器は鉄腕DASHの影に隠れているのです 島原藩の紹介
本丸と二の丸を囲うように三の丸があり、
三の丸を囲う城壁があったようです
島原藩の大砲
思いっきりピンボケ

 そして、最上階からの展望。有明海を眺められる、まさに荒尾競馬場と双璧をなす展望といえますね。きっと松倉勝家も島原城を建てて天守のてっぺんから有明海を眺めたときに、「あの有明海の反対側に競馬場をつくろう」と堅く心に誓ったのではないでしょうか。そして、競馬場からの税収が増えた暁には、いままで苦しめてきた領民への税金を減らそうと思っていたのではないでしょうか。志半ばで打ち首となった勝家さんの心中を思うと、荒尾競馬には存続してほしかったと思うのであります。
 くだらない話はさておくとして、眺めは本当に素晴らしい。

最上階 島原駅越しの有明海 あらためて左〜正面
眉山と平成新山。眉山というのは各地にあるのですね 多比良港、島原新港方面 最上階の神棚

8 本丸

 天守を見終えたので、本丸内をぷらぷらします。このあとのフェリーの時間などもあって、わりと急ぎ気味に回ったことが伝わってくる写真の撮り方をしております。なにより、櫓3つをほぼ完全にスルー。

天守の裏側 西望記念館へ
巽櫓を巽櫓として
見に行ってないのは
自分としては珍しい
御馬見所
ここも覗きに行ってないようです

 先ほど江東寺で松倉重政のお墓を見てきましたが、なんと本丸には松倉重政公祭祀の祠があります。祀られているのは重政だけでなく、島原城築城工事中に亡くなった方々も含まれているようです。そして勝家どこ行った。


 そして古野梅園。このあたりの土地勘が完全に記憶からぶっ飛んでるのですが、本丸内でも石垣が組まれていて本丸内が迷宮のようになっているのが分かります。


 ううむ。ちょっと記憶が薄れすぎてるな。原城と合わせて、もう一回行ってみたくなってきた。

9 二の丸へ

 そして、二の丸へと向かいます。
 かつては本丸と二の丸の間は廊下橋で結ばれていて、いざというときは廊下橋を落として防御が可能であった、逆に二の丸が落ちると完全に孤立化する……という話は島原城について書かれたものには常に書かれておりますね。今は廊下橋は落ちていて、堀に半分おりる形の土橋が架かっております。

正面 本丸に向かって左側 右側の堀 二の丸側から本丸側を見る

10 菖蒲園、堀底

 そして、二の丸探索をおこなうことなく、堀の底につくられている庭園、菖蒲園へと向かっていきます。
 多分この頃は私のにわか庭園マニアっぷりが頂点に達してたころだったのかもしれないな。
 まあ、非常に綺麗な桜を見ることが出来て満足です。東北では花見どころじゃない方々が大勢おられるというのに、こんなに呑気でいいのでしょうかね……。

菖蒲園。季節は外れております

そして、日本庭園的な部分。ここにサクラがあるのであります。サクラの季節にサクラ。特に何の目新しさもありませんね。

上から庭園を見下ろす 別の角度からサクラ ここにいます 石垣は美しい サクラ
サクラ 花をアップで 堀底からの眺め
なかなかに重厚感のある美しい石垣です
この堀底にたくさん人骨が埋まってそうでなんか嫌ですが…

11 具雑煮

 そして、ぐるっと回って先ほどの本丸への車道を眺める場所までやって来ました。本丸に直登できる道は後世に作られたものですが、そのまわりの石垣は昔ながらのものなのであります。


 そして、姫松屋で具雑煮。具雑煮も当地の名物料理だとのことです。なんだかんだ、地元の名物料理を食べているのであります。


 で、最後に巽櫓〜丑寅櫓を眺めて終了です。

巽櫓 丑寅櫓 七万石坂へ
七万石坂 天然湧水めだかの学校 恵比須堂跡

 そして、島原駅へ。

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