サガノリュウゾウ

 吉野ヶ里から、佐賀へ。

 このときに佐賀に行ったのは2011年2月6日。これを書いているのは2022年9月17日なので、おおよそ11年と半年経過しております。佐賀については行った場所くらいはそれなりに記憶に残ってはいたのですが、今回これを書いていて断片的に残っていた絵が結びついたのは非常に良かった。ああ、なんとなく自分の記憶に残っていたあの神社はここだったのか!という変な発見がありました。時間が経ってから旅行記を書くとこういう楽しみがあるのです。

4 佐賀駅

 佐賀駅到着時点で2時30分頃(写真の時間)だったので、あまり観光に割ける時間はありません。慌ただしく、レンタサイクルをゲット。自転車は5時までに返さないといけないので、時間との戦いです。
 なお、駅前にいた印象的な面浮立は佐賀県の伝統芸能、浮立のもののようです。そもそも素人には読めませんが、「めんぶりゅう」と読むようです。私は素人なので”めんうきだて”読んでました。

駅のホームに設置されていた恵比須様 面浮立 佐賀駅 今日の自転車

5 佐賀八幡宮(龍造寺八幡宮)・楠神社

 まずは龍造寺八幡宮こと佐賀八幡宮。この2つがイコールであることは完全に私の頭からすっぽ抜けており、これを書きながら「へえ、自分は佐賀八幡宮にも行ってたんだ」と感心してたら、この2つが同じものだと知って驚いた次第です。
 なお、私は由緒正しき日本人として判官贔屓でありますので、志半ばで散った龍造寺にはなんとなく同情的です。散る前に酷い有様だったかどうかは不勉強なので知りません。都合のいい同情でありますが、同情ってそんなものよね。

外観 由緒書。楠神社は楠木正成公を祀った我が国初の神社であるとのことです 鍋島直茂室藤の方
寄進の肥前鳥居
安っぽい鳥居の先に神橋 多布施井樋水路 水五訓と手水 頑固宮司
狛犬 何故か水平に写真を撮れないのでした 子育て恵比須

 続いて、楠神社です。拝殿に向かって右側にある非理法権天の碑の写真を撮ってないあたり、時間的余裕のなさが分かりますね。

楠神社 拝殿 狛犬 義祭同盟之碑

 ただ、時間が無かったわりには、判官贔屓の私めは龍造寺八幡宮にお金をぶっこんだようで、後日送られてきたお礼状が保管されておりました。そんなことあったかなあ、程度の記憶なのですが……。

お礼状 あらためて、両神社を

 そこから、しばし街歩きです。街歩き、といっても自転車なので街漕ぎと言った方がいいのかもしれません。

自転車に乗ってるので
上からの撮影
ご当地自販機 これも恵比須様


6 本行寺

 今回、あらためて当時の写真を見返して驚いたことは多数あるのですが、そのうちの1つがこれ。正直、このとき時間が無い中で本行寺に行ってたとは思いませんでした。ビックリです。
 2022年に佐賀に行った際、「前回行かなかった江藤新平のお墓にでも参ろうか」とかのんびり考えていた自分がいかに浅はかであったことか。凄いぞ、2011年の自分。

 お寺自体は、龍造寺胤家創建による佐賀最大の日蓮宗寺院であるとのことです。
 ただ、サムネイルを見れば分かるとおり写真撮影を非常にてきとーにやっており、もうちょっと正面から解説板を撮る意思を見せろと突っ込みたくなりますね。アップにあたり、修正してますが、まったく当時の自分はなにをやっていたのか……。

 そして、もう1つ。成富茂安の解説は撮ってるんですが、成富さんのお墓の写真が残っておりません。成富さん自体は信長の野望にも必ず出てくる武将で、無学な私でも存じ上げている著名な武将なのですが、なぜスルーしたのか……。結局、もう1回参拝したくなりますね。

これを撮ってた
自分を褒めたい
境内 本堂 江藤新平の解説 成富茂安の解説 江藤新平のお墓

7 佐嘉神社・松原神社

 続いて、佐嘉神社と松原神社。松原神社の絵自体は記憶に残ってたんですが、この絵が佐賀を訪れたときのものだという記憶が飛んでました。今回旅行記を書くことで、自分の脳みそに残っている絵と実際の神社名が結びついてちょっと満足です。
 佐嘉神社はいかにも昔からここにあって佐賀の地を守ってきました、的な雰囲気と名前でありますが、実はご祭神は鍋島直正と鍋島直大。そして松原神社のご祭神は鍋島直茂・勝茂親子と龍造寺隆信。龍造寺関連はてっきり龍造寺八幡宮に押し込んでいるのかと思ったら、なんとビックリ、龍造寺隆信はここにも祀られているのです。龍造寺家を乗っ取った形になったので、鍋島家は色々と龍造寺を怖れ、龍造寺に気を遣っていたのかもしれません。なお、由緒書きによると霊験について「胃腸病に霊験」とあります。お殿様はストレスで大変だったのかもしれません。

 この佐賀は反射炉が建設されたことでも有名なようでして、「わが国最初の鉄製カノン砲」の復元展示がありました。また、境内にはご祭神である鍋島直正公に関する展示コーナーも。

外観 パンフレット 手水舎
カノン砲の復元展示と解説 アームストロング砲 佐賀城の図録にある
反射炉の断面図
鍋島直正関連展示 蒸気車と蒸気船 神門 佐嘉神社拝殿

 続いて、松原神社。祀っている対象はこちらの方が古い方々、もっといえば、信長の野望的になじみのある方々です。

松原神社へ ダンジョン感のある参拝路 参拝路の脇に奉納されている狛犬とロバ?
松原神社へ 神門 御由緒 狛犬 拝殿
白磁の灯籠 河童の木像「兵主部」
時間の関係でスルー
鍋島直茂由来の手水鉢 松原恵比須社 佐嘉荒神社

8 佐賀城

 さあ、いよいよラスト。佐賀城です。時間も迫ってきたので駈け足で、まずは再建されてピカピカの佐賀城本丸御殿へと向かいます。向かいます、といっても、そこは城ですから、本丸御殿までの道は一直線ではありません。
 なお、佐賀市は過去の市報に載った「佐賀市歴史探訪」を再編集してアップしており、これが非常に勉強になります。佐賀城に行く前にこれを読んでいけば佐賀城見学がますます楽しくなること間違いなし。なお、再訪することがあったとしても、私はおそらく読まずに突撃してあとで後悔することでしょう。

8.1 鯱の門・続櫓・天守台

 ルートとしては、鯱の門から入ることになります。鯱の門の向かいに天守台がでで〜んと鎮座しており、火災焼失前は五層の天守があったとのことです。この鯱の門から先が、本丸と言うことになります。なので、特に解説はないのではありますが、ここまでが二の丸です。

 順番をどうしようか迷いましたが、帰りがけに見た鯱の門の写真もここにぶっ込みます。

 解説によると、鯱の門は1835年の二の丸火災後の本丸整備の一環としてつくられたものであるとのこと。「本丸整備」というと昭和になってからやったかのような響きですが、やったのは天保年間。したがって、鯱の門には佐賀の乱の銃痕跡が残っているというわけであります。

鯱の門 続櫓 門を見る 門の下の石垣 解説
銃痕 内側から見る鯱の門
解説 天守台

8.2 本丸歴史館(復元本丸御殿)

 さあ、本丸御殿に入ります。本丸御殿を完全復元したのではなく、部分的な復元のようですね。
 中はできたてほやほやで非常に綺麗です。のんびりごろんと休みたいですね。しかし、時間が無いので慌ただしく中を見ていきます。
 外御書院は一之間〜四之間からなる広い部屋ですが、天井の格子を見ても特に一之間と四之間とで違いがあるようには見えません。小倉城で見たようなつくりにはなっていないようですね。これが佐賀のこだわりなのかもしれません。

パンフレット 外観
外御書院
釘を使わずにどうやって建物を組むか、という展示。実際にやってみても意味が分かりません 寄進箱 関連年表

 続いて、本丸御殿を外から見て回ります。
 このうち、御座間のみが天保時代の遺構となり、見るからに色が異なります。

解説板 お玄関を脇から見つつ、御式台
外御書院外観と、御三家座
御小書院
御座間と堪忍所 そこから外御書院方向 外御書院
御仕組所と屯之間
御料理間と御納戸 そこから御仕組所方向

8.3 石垣を潜る水路

 これは佐賀の非常に特徴的な遺構。本丸内に飲み水を流す、いわゆる上水道であると推測されているとのこと。大変興味深いです。


8.4 南西隅櫓台

 こちらは天守台と異なり、一目で復元と分かる櫓台。ここから見ると本丸御殿の姿がよく見えます。
 西側土塁石垣は外側が石垣、内側が土塁になっている遺構のようなのですが、なぜか私はそっち方面はスルー。南側の土塁と堀のみ写真に残されております。

南西隅櫓台 櫓台から本丸御殿と天守台 櫓台から南側の土塁と水堀 諸々の解説

8.5 万部塔と六地蔵

 どこで撮ったかも記憶から飛んでますが、万部塔と六地蔵。


 というわけで、無事自転車を返して武雄へと向かいます。
 続く。

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