紀三井寺や今は昔その1

 和歌山に着いてまずどこに行くか。いろいろ迷うところだと思いますが,やはりNPとしては旧紀三井寺競馬場を一目見ないわけにはいきません。というわけで,紀三井寺を目指します。

 で,「紀三井寺」というからにはお寺があるはず。近江の三井寺と紀三井寺の関係はよく分からないところではありますが(あとで分かったのだけれど),とにかくどうも有名なお寺さんのようです。これは期待。


普通のベッドタウン的
1月9日時点で35件盗難があった……
のではなく,単に年が変わってから
更新してないだけでしょう
乱雑さがまた生活感に溢れてて
好感持てますね

 紀三井寺が有名なお寺であるとはいえ,この日はなんてことない日曜日。駅自体はいたって平和であります。
 駅前の雰囲気はいかにもベッドタウン,な感じ。地元を思い出しますね。

山門 車1台700円

 さて,駅から歩くこと数分。山門が現われました。いつからここにあるのか,ちょっと分かりません。

 ここからえっさほいさと坂と階段を上っていきます。果てしなく寝不足ではありますが,着いたばかりなのでまだまだ元気いっぱいであります。
 ほどなくお寺に到達。何もない日曜日ではありますが,有名寺院だけあって多くの人が訪れています。確か何かの霊場にも入っていたと思うので,霊場巡りをされている方もおられるのかもしれません。

 というわけで,境内をぷらぷら見て回ります。山の上にあるだけあって,喧噪から離れて気持ちがよいです。

手水 ソメイヨシノ標本木 如意輪観音像 樟樹 お身代わり寶頭盧尊者
本堂
桜の時期に訪れたら
さぞかし綺麗なんでしょうね…
鐘楼 最近はやりの?仏足石 市街地を眺める
競馬場も見えたんでしょうか


 さて。何とはなしに馬頭観音碑を見てみると……おおっ!こんなところに競馬の足跡が!
 紀三井寺自体に何かを期待していたわけではなかったので,思わぬ発見に心が躍ってしまいました。

石碑 碑文 その横の社


  ところで,昔から競馬場に馬頭観音さまがまつられているのはよく見るのでありますが,馬頭観音って動物の馬とどこまで関係あるんでしょう?なんかほかにもっと適切な神様仏様がいるような気がするのですが……。

 まあ,そんなことは気にせず,さらに著作権も気にせず,碑文をここに載せてしまいます。
「馬頭観世音菩薩石碑由来
 紀三井寺競馬の歴史は古く,明治四十二年愛馬家有志が地元の塩田を借り受け,競馬を開催したことに始まる。戦後は公営競馬として続行され,多くのファンに愛された。
 昭和二十五年頃,競走中に事故が発生し,犠牲が出たために,関係者が当時の紀三井寺貫主,前田密禅(光穂)和尚に懇請し,同師の揮豪により建立されたのがこの石碑である。競馬開催初日には紀三井寺より僧侶が出向き,関係者参列の下に人馬安全の祈願が行われた。昭和六十三年競馬の廃止に伴い,縁深い当紀三井寺境内に移設された。
 動物愛護の守り本尊として永くここに祀られるものである。
 平成三年一月十八日 救世観音宗総本山 紀三井寺」

 はい,というわけで,こんなところに競馬の痕跡を見ることができます。まあ,ここにしか見られないことが後に判明するわけでありますが……。
 個人的には,昭和63年から平成3年まで,この碑文もなくぽ〜んと石碑だけ移されただけだったんであろうことに扱いの悪さを感じて軽くショックを受けるのでありました。

 さてさて,続いて,大千手十一面観音を拝みに行きます。
 仏殿に入って現われた観音像は……金ピカのデカイお姿でありました。
 なんといいますか,仏像って金ピカだとかえってありがたみが薄れるような気がするのは僕だけなのでしょうか。まあ僕だけなら別にいいんですが。とまあ,仏罰が当たりそうなことを書きましたが……この仏像,松本明慶さんという仏師さんの手によるものだそうです。
 仏師というと,止利仏師こと鞍作止利しか知らないのでありましたが,やはり現代にもおられるんですね。「仏師」というとまさに「匠」という雰囲気を感じます。凄いなあ。

本堂方向 上から本堂を 仏殿上からの眺め


 仏殿を出て,もう少し散策。せっかくなので100円払って霊宝堂にも入ります。なんか怪しいドアを開けて中に入っていくのがわくわく感を高めます。なんで誰も入らないんだろうか。個人的に,歴史あるお寺さんのこういう怪しいスペースが好きなのでした。

多宝塔 開山堂 霊宝堂へ 最後に本堂方向


 と,いった具合に紀三井寺を後にします。迷ったけどここでページを分けてみよう。続く。

紀三井寺その2へ

旅行記TOP和歌山TOP