NP歩き渡る和歌浦その1

 今回,僕が紀三井寺に行ったのは100%競馬場跡地を見にいくためでありました。はっきりいって,それ以外の知識はゼロであります。また,和歌山に範囲を広げても競輪とお城が追加されるのみで,それ以外には何も目的も知識もありませんでした。

 つまり,雑賀衆と信長がこのあたりで戦ったこと,和歌浦が古くから有名な景勝地で山部赤人の「若の浦に潮満ち来れば潟お無み葦辺をさして鶴鳴き渡る」なんて歌も知りませんでした。教養がない人間が旅をしても楽しめないという典型であります。まあ競馬を知らない人間が紀三井寺・和歌浦に行っても病院を一周する楽しみを味わえないんだろうからその辺はお互い様ですが。

 雑賀衆に関していえば,完全にもっと南だと思ってたんですね。戦いの場所が。考えてみたら文章で歴史小説読んだことはあってもあまり地図ベースで戦いを振り返ったことはないので,完全な思い込みでした。信長の野望(NPの信長の野望は将星録で止まっている)が地図ベースですが,これも長らくやってないしな……。で,NPの認識では,雑賀衆との戦いは和歌山よりはるか南だったんですね。で,これは,NPの認識よりも和歌山という場所が南にあったのが誤解の原因でした。日本は広い。和歌山の皆さんすいません。

 はい,というわけで,話を元に戻し,紀三井寺競馬場から和歌浦に向けて歩きます。和歌浦が景勝地という認識はゼロですので,第一目標は紀伊の東照宮。第二目標は養翠園。例によって寺社好き庭園好きなのであります。

 まあ,和歌浦が超有名景勝地(廃墟マニア垂涎の旧景勝地というべきなのか?)という認識はなくとも,手元にある和歌山市の観光地図には当然このあたりに見所があるという記載はありますので,とりあえず道をまっすぐ進みます。まっすぐ進みすぎて雑賀衆と関係のあるお寺をすっ飛ばしたことに気付いたのはかなり後のことだったのですが……。寺社好きと言ったところで所詮この程度なのであります。

橋が見える その先には島が


 進んで行くと,なにやら風情のある石橋が見えてきます。だらだら歩いて疲れてきた頃にこういうイベントを配置してくれるあたり,さすが観光地。
 喜び勇んで橋に向かいます。

 橋の入口には解説文。三断橋という名前らしいです。「通行する人は各自で安全を確認して下さい」というなかなかドスのきいた脅し文句。自己責任って奴ですな。通行する際に橋が崩れなくても,自分が島に渡った後に橋が崩れたらどうしてくれるのか,全く説明がないのが困りものですが,気にしないことにします。
 さあ,自己責任で橋を渡るぞ!


注意書き 島を正面に 橋を渡る


 途中でモンスターに遭遇することもなく,橋が崩れることもなく,無事渡りきりました。ふぅ。
 どうもここは海龍寺というお寺になっているようであります。解説文に「度根性」という言葉が載っています。「ど根性」の「ど」が「度」だというのはあまり意識したことがなかったな…というのが1点と,「久々に『ど根性』という単語を見たなあ」というのが第2点。ど根性ガエル以外で「ど根性」という言葉を目にする機会はなかなかないような。「根性」という言葉自体が最近はやらないですね。

 そんなわけで,この小さい島をぐるっと歩いて回ります。小高い丘というか,山の中腹には多宝塔もありました。
 観海閣という名のコンクリ建築物はこの場に合わないなあと思って解説を読んでみると,昭和36年の台風で倒壊して再建したのが現在の姿ということです。ここに来てようやく,和歌浦が天橋立・三保の松原と並ぶ景勝地だということを知らされたのであります。ただ,この時点では「自称だろ」という風に冷ややかに見てたのでありますが。

海龍寺の説明 多宝塔 観海閣 観海閣から三断橋 三断橋 何と書いてあるかは
分からない
最後にもう1回橋から島を


 最後にもう一度自己責任で橋を渡って本土に復帰。ふぅ。緊張しますね。
 で,ふと道の反対側を見ると,いかにも「ここに登って島を見ろ」と言いたげな展望台があるので釣られて登ってみました。

上から こんなスペース


 まあ,想定の範囲内ってやつですね。海側の景色もそこそこきれいでしたが,特に写真は撮らず。

 降りてまた歩を進めます。

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