彦根城その2

 そして西の丸にやってきました。さっきまでの喧噪はなんだったのか,というくらいに人がおりません。う〜ん,天秤櫓前に西の丸三重櫓の宣伝があったのはこのためか……。
 
西の丸方向から天守を見上げる 西の丸 三重櫓 みどころ
1階・2階は外側に向けてしか窓がなく
3階は見張のために内側にも窓がある
江戸後期のもののようです 1階部。あいかわらず梁が重厚 壁の解説 山崎山道からの登城者を狙えます
2階へ 梁も壁もパワフル 江の撮影
3階から見下ろす
これだけ遠くても弓や弾は届くのかな
佐和山方向 こっち側の装飾も美しいです

 名残惜しいですが,時間もないので黒門山道から降りていきます。玄宮園にも行かねば…。
 黒門山道から見上げる天守も,高い石垣と相まって威風堂々としていてよいものです。
 井戸曲輪も良くも悪くも廃れているために草が生えて土地の起伏ができており,兵どもが夢の跡的雰囲気がでていてなんともいえません。

黒門山道方向 天守を見上げる 城壁と石垣が美しい 振り返る
解説は無かったですが
多分ここに門があったんではないかと
真上を見上げる
井戸曲輪 野ざらしの今の姿も,どことなくいい雰囲気 振り返れば壁が立つ 苔むす石垣 多分門があったんでしょうが
やはり解説が無い
降りていくとこんな感じ
ここから登ろうと思うと,先が見えなくて嫌ですな
このあたりに黒門があったはず 黒門橋を見下ろす 奥の堀の様子
黒門橋から内部を見る 弧を描く石垣がなんともいえず美しい

 時間がなくなってまいりましたが,玄宮園。玄宮園の横に楽々園というお庭もあります。ただ,こっちは大名庭園というよりも,屋敷の庭ですね。今では枯山水庭園になっておりますが,かつては湖があったようです。
 この楽々園の由来と言われる「仁者は山を楽しみ,智者は水を楽しむ」という故事,楽山園もこれが由来でしたな。出典は論語のようなのですが,楽山園の解説だと順序が逆で,「智者は水を楽しみ,仁者は山を楽しむ」でした。どっちが正解なのだろうか……。ちょっと論語に興味がわいてきた今日この頃。高校時代真面目に勉強しておくべきだった…。

槻御殿
ケヤキを槻と書くのか
競馬ファンなら確実に間違うな
井伊直弼生誕地 楽々園の建築物は工事中 解説 楽々園見学案内 地震の間
内部 枯山水庭園 工事中 枯山水と御殿 玄宮園を借景にしている,のだろうか

 そして,本日の最終目的地は玄宮園。
 閉園まで時間が無いので駆け足にならざるを得なくて残念至極。
 美しい池泉回遊式の庭園で,彦根城天守が遠くにそびえているのもまたいとをかし(古文的に合ってるかは知らん)。もうちょっと時間のあるときにゆっくり見たかったな。次は新緑の季節に見に行きたいものであります。あと,できれば庭園の歴史的背景についても聞いてみたいな。


底に水路?のようなものが見える

 というわけで,慌ただしく終了。
 彦根城はもちろん国宝天守があまりにも有名で,天守内部の梁等の構造は興味深いものではありました。しかし,それよりも天秤櫓への橋や太鼓門の構造,黒門山道まわりの石垣や曲輪の風景,弧を描く石垣,楽々園・玄宮園等々,周囲の遺構が非常に面白かったです。できればもうちょっと解説がしっかりしてると助かるのだけれど……。国宝天守の周辺遺構だから,おそらく探せばしっかりした本や解説書がたくさん出てくるんだろうなあ。

 で,周囲の碑文なんかを見ながら帰ります。井伊直弼公の地元だけに,なにかと評判の悪い井伊公についても肯定的な説明がなされております。

屋形船案内
時間が無いので乗れず
井伊直弼公の銅像
開国の評価はいいとして,安政の大獄には触れられなかったか…
遠城謙道氏の顕彰碑
花の生涯記念碑
華の大障害とは関係ありません
二季咲桜
琵琶湖八景の碑 佐和口多聞櫓が開放されていたようですが
当然のことながら既に時間切れ…残念
それにしてもこの石垣は美しい

 実は玄宮園にいるころから,近江八幡にいる友人から「いつ来るんだ」という電話がかかってきていたのでした。せっかくの休みの日なのに振り回してしまって申し訳なかったです……。
 てなわけで,近江八幡でちょっと職場を見学させていただき,その後,草津で飲み。

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