おおまちうまめぐりその1

 よーやく仏崎観音寺。
 もともと,大町の草競馬はこの観音寺への奉納競馬を由来としているとのことで,そうであるならば寄らないわけにはいきません。もともとは競馬が終わってから寄る予定でしたが,自転車が手に入ったのでこのタイミングで参拝することにしました。

 道路を進んで,観音寺への道に入ると,まず目に入ってくるのは道の両脇に立ち並ぶ石仏。場所的に,観音寺と関連があるのはほぼ確実。さらに,よくよく見てみると,いくつか「馬頭観音」の文字が見えます。正直,観音業界について全く詳しくないのですが(なんせニワカです),仏崎観音寺が競馬と関係あるということと,馬頭観音が奉納されていることと大きな関連があるんだろうということはなんとなく分かります。

参道。左右に石仏がたっております こんなのとか こんなのとか こんなのも 馬頭観世音の文字
明治43年とありますね
ここにも 左は明治37年
右もよく読めませんがほぼ同時期
この2つは多分同じ人が掘ったんだろうな
上の方に「○○番」とあります(よく読めないけど,
右は多分二十五か六十五,左は二十三か六十三)。
三十三観音八十八カ所かなにかの写しなのかな?

 さて,仏崎観音寺。社号標は左側にありましたが,お寺自体はまっすぐ進んで入っていくことになります。ちょっと迷いそうになるな。
 道ばたで呑気に石仏を撮ってる自分の脇を,自転車の集団が駆け抜けていきます。互いに結構危ないです。ツーリングなのか,なにかの練習なのかな?結構人数が多くてびっくりでした。

 ところで,同じ馬頭観音でも,石に直接「馬頭観世音」と文字を彫ったものもあれば,石の観音像をつくったものもあります。これってどういう違いがあるんでしょう?文字の上手い人が文字を彫って,石仏づくりに慣れてる人が石仏をつくるってだけでしょうか?

こっち側に社号標がある 手水 ここにも龍とこども 観世音
西国秩父坂東の文字があります
寄付者
ここから入る 仁科32番札所 右に二十三夜塔
左は読めない
馬頭観世音 石仏

 さて,そんなわけで,お寺に入っていきます。すると,お堂が見えてきました。
 すげぇ。なんだこれ。
 目に飛び込んできたのは,日本のお寺とは思えない形と材質の屋根であります。なんだこれ。

 本来であれば出来る限り近づいていろいろ見たいところだったのですが,あいにく法事の真っ最中。さすがに一観光客が法事の邪魔をするわけにいかないので,遠目からちょこちょこと撮影してオシマイです。
 それにしても,なんで大町にこういう面白いお寺が……。単立ではなく,普通に曹洞宗のお寺だしなあ。う〜ん,どういう歴史的経緯と発展をとげたのだろうか。

 それはさておき,奉納されている石仏も興味深いです。1つ1つ,とてつもなく個性的。彫った人の気持ちがこもっているというか,どんな気持ちを込めて彫ったのかが分からないというか……。

おお! 象。なぜ赤目なのか,なぜ耳が正面を向いているのか… 象の上の観音様 正面から本堂 仁科三十二番 窟
これぞエロ目,という感じの
目をしております
どういう糸なのだろうか
ここに並ぶのは
馬頭観音だけでなく
お不動さんやら,
各種石仏です
これも表情や髪が印象的
しかも,左の太腿の下の
顔はなんの顔なのだろう?
左側にも石仏 馬魂碑

草競馬や農耕馬の慰霊ではなく
陸軍中将さんが立てられてるので
明治以降の戦役の馬の
慰霊のための石碑でしょうか
交通観音菩薩
正面から なんと特徴的な屋根!
こういう形にするのも大変だよなあ
斜めから 観音寺 獏と獅子
あらためて本堂

お堂は法事中なので
あまり撮りたくなかったのですが
多くの絵馬が奉納されております
犀龍と泉小太郎
本堂の彫刻が美しいので,それとのギャップが凄く思えてしまいます
でも,これはこれでダム管理所の皆様の気持ちがこもっているのが分かり,味がある造形ですね
仏像?神像?と絵が奉納されてます
ここは,どっちかというと神社的色合いが強いような
解説は無かったのですが,おそらくここを登ると
泉小太郎の洞窟に行くのではないかと思われます
千有一馬集絵馬 平成18年〜20年に改修したようです あらためて境内

 そんなわけで,予想外のものが見られて大満足で観音寺をあとにしたのでした。
 ところで,かつては観音寺付近で競馬が行われていたようです。まあ,周りを見る限りいくらでも土地はあっただろうと思うので,特に具体的にどこでやってた,というのもないんだろうな。草競馬のことも特に案内板で解説されてなかったし。

まっすぐ運動場に向かいます 道祖神 参道入口

 そんなわけで,ようやく運動場。草競馬です。

まちめぐりその2草競馬

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