12番目の松本城

 てなわけで,開智学校は思ったよりもしっかりした学校で,見所が多く,予定時間を超過しました。予定時間を超過したのに松本城に(正確には松本城天守に)直行せず,寄り道します。
 どうも当時の堀を残した場所があるらしいのです。さっき通った道の1本北。もっとちゃんと事前調査してたらもうちょっと早起きして早めにこのあたりを見て回ったんだがな。まあ仕方ない。

 で,道を歩いていると,右手にいかにも土塁っぽい土手が登場。おお,と思って近づこうと思ったんですが,特に近づけるルートはなし。似たような感じで住宅街に土塁があった田中城では土塁に登ることもできたんですが,ここの大土塁障害はなかなかに難度が高い。
 さらに進むと,丸馬出跡兼北門大井戸。歩いていると,かなり下った場所に公園があり,真ん中に井戸があります。あれ,ここってかつてはどういう高低差でどういう感じだったんだ?土塁があるくらいだから歩いてた場所を基準に上に向かって土塁,下に堀,って感じだったんじゃないかと思い込んでたんですが,丸馬出跡に向かって下るとはこれいかに。
 でも,馬出っぽい雰囲気のものは何一つ残ってなかったので,もしかしたら馬出ではなく馬出周りの堀がここだったのかな?(あらためて考えてみると,もしかしたら僕が馬出の規模を小さく見積もりすぎてたような気もしてきました)



北馬場町柳の井戸 おそらく奥の丘は土塁 北門大井戸
堀の跡地,北門脇にあったとのこと
解説 井戸廻りがまわりより
一団低い土地にあります
が,いまいち馬出の構造が
よく分からない
横に御嶽本教


 てなわけで,周辺部の見学終了。いよいよ堀を渡って二の丸に入っていきます。
 正直,堀の外側の遺構が壊滅していて,この時点で自分の中に松本城へのイマイチ感が漂っていました。犬山みたいに,天守だけかよ,ってな具合に。
 そんな若干気落ちしたなかで,堀を越えて二の丸に入ります。二の丸は二の丸御殿まわりの石垣の修復工事中。二の丸御殿自体は,赤穂本丸御殿や松山の二の丸御殿跡のように,屋敷の部屋の区画だけを表示して,かつてそこに何があったかを示す方式。これって,上から見た間取り図しか残ってないからこういう処理になってるんでしょうかね?それとも予算の都合?一応絵図なんかもあるし,他方で松本だったら松本城まわりにいくらでも予算突っ込みそうな空気感あるけれど。

 で,さっき遠目に見た太鼓門。立派な櫓門であります。中に入れるとのことだったので,もちろん入ります。
 中はまた立派な造り。上を見上げると,どうやって木を組み合わせたのかよく分からないですが,とにかく縦横に組み合わさってとにかく櫓ができております。ほんと,どうやってこんなん作ったんだ。

水堀。緩斜面はさすがに現代のものだろうなあ 案内図 櫓台 櫓台から二の丸御殿方向
      
二の丸御殿絵図 石垣改修工事について 二の丸御殿の役割と変遷 金網・二の丸ごしの天守
この角度だとあまり美しくない


かつてここに裁判所が
あったようですね
明治天皇はなぜ裁判所に
いらしたのでしょうか
太鼓門櫓特別公開中 脇の石垣と土塁
これはどれくらいの
復元度なのだろう
太鼓門櫓入口 美しい 破魔矢
太鼓門の構造 内部 櫓台から門を見下ろす
中から枡形を見下ろす 正面から門を 城内方向 太鼓門礎石 内部から太鼓門 外から太鼓門
太鼓門枡形について 枡形内部 石垣
右手前が玄蕃石ですね
太鼓門櫓を見上げる 二の門 石垣
水を流すための穴もあります


 そして,いよいよ本丸に近づいていきます。駅から入ると南から入ることになるようで,城域内に市立博物館がありました。まあこれは後に回すとして,本丸を目指します。ここまで来ると,さすがに観光客数が増えます。これぞ夏休み中の日曜日の国宝天守。考えてみたら,犬山の時は台風のさなかという特別な日だったし,彦根や姫路は並んだものなあ。やはり国宝天守は並ぶんだな。
 ところで,並んでいるときに,前だったか後ろだったかの方々が,「登るの大変だろうなあ」「エレベーターがあるといいのにね」という会話をされておりました。今まで,「大阪城はエレベーターがあってがっかり」「名古屋城のエレベーターは景観ぶちこわし」という意見はさんざん見聞きしてきましたが,エレベーターを希望する意見をリアルで耳にするのは初めてでした。平成の世の中に天守に求める役割というのは人それぞれでしょうから別にそのことをとやかく言うつもりはないんだけれど,リアルにそういう意見を耳にしてちょっとびっくりでした。

 で,入場料を払って中に入ります。中には手入れの行き届いた庭園。そして,庭園越しに登場する連立天守。おお,美しい!
 いやぁ,やっぱり素晴らしいですね。がっかり感なんて吹っ飛びます。美しいです。あと,連立天守っていいですね。今回の松本城で感じたのは渡櫓で結ばれた連立天守のなんともいえない美しさと雄大さです。これは姫路や松山でも思ったことです。そして,犬山みたいに単立の天守は自分はあまり好きでないことが分かりつつあります。


本丸まわりの堀と石垣 遠目から本丸 黒門へ 装飾 天守解説 なんか武士がいました
     
美しき連立天守 道中みんなにスルーされていた解説

 そして,庭園をぐるっと回って天守に近づいていきます。
 天守内へは,小天守から入っていくようです。そして,ここにきてやはり大行列。まあ,仕方が無いな。

 小天守から大天守へ,同じ階でもどうも高さが異なっているようで,小天守から大天守への移動でも階段があります。そして,小天守2階から大天守1階へ。


清正公駒つなぎの桜 近づいてきました 入口は渡櫓 渡櫓1階から大天守へ 渡櫓から小天守へ
乾小天守1階 矢狭間と鉄砲狭間
英語解説末尾で,
だとなぜかYazamaだけ複数形
小天守2階
奥が渡櫓2階
狭間から見下ろす
解説
なぜか備中松山城だけ
フォントが小さい
鬼面鬼瓦 渡櫓2階について
やはりこの段差は気になる
渡櫓から小天守方向

 この大天守1階が面白い。周囲に武者走りがあり,観光客はここに大行列を作るんですが,今まで見てきた多くの城と比較にならないくらい段差が大きい。なんだこれ。走りやすいようにしてるのかなと思ったら,どうもこのサイトによると,構造上の理由があるとのことであります。へぇぇ。確かに,別に段差があったからってそこまで走りやすいわけではないもんなあ。今となっては行列の管理がしやすくなってよかったね,という気もしますが。
 ところで,松本城が烏城と呼ばれているのは有名ですが(ちなみにNPは最近まで「カラスジョウ」ではなく「ウジョウ」だと思ってました),Wikipedia大明神曰く,「しかし文献上には烏城という表記は一切ない。」とのことであります。へぇぇ。じゃあ一体誰が「烏城」と名付けたんだろう。名付け親には金一封あるいは松本市民栄誉賞でも与えてつかわしてもいいんじゃなかろうか,というくらいいいネーミングです。

大天守1階 犬走り
石落とし 壁の構造 天守大棟の鯱
土台心材 懸魚


 大天守2階に入ると,鉄砲展示が続きます。ここは鉄砲蔵として機能していたとのことであります。残念ながら武具については全く違いが分からず全然興味がわいてきません。逆刃刀とかだったら興味わくでしょうが。あと,やっぱり混んでいて行列になっているので,たとえば流れに逆行してもう一回さっき見た鉄砲を見るというのはなかなか難しい。これは鉄砲マニア的にも結構大変なのでは。でも,ここの鉄砲蔵の展示は鉄砲界ではそれなりに充実した展示なのではないかと,松本城の鉄砲蔵アピールの強さから推測するところであります。
 そして3階。外部からは見えないことで有名な3階です。そのため,全体的に薄暗く,天井も低い。現代となってはあかりをひいたりするのは簡単ですが,昔は暗かっただろうな。でも,攻め込まれることを考えると,途中に真っ暗な階層があるってのはなかなかに怖いことだと思います。まあ,ここまで攻め込まれてる時点で怖くてもたかがしれてるだろ,という気もしますけれど。でも,最後に時間稼ぎするには十分ですよね。
 で,4階。大渋滞です。そして,天井が高い。さっきの3階はなんだったのか,というほどに高い。奥に意味ありげなスペースが見えましたが,これは降りていくときに分かりました。で,大渋滞の理由は,階段でした。4階から5階に上がる階段が最も急で,かつ4階の天井が高いため当然階段も高い。よって,昇降に時間がかかって渋滞することになります。この階段,横幅がなんとも微妙で,登る人と降りる人がぎりぎりすれ違えるかすれ違えないかくらいなんですね。で,松本城では特に時差通行にはせず,随時自由に上り下りしてくれ,という方針なので,渋滞します。下には係員が常駐してましたが(多分急なので落ちたりした場合に対応するため),係員を常駐させるくらいだったら時差通行にしてもいいように思うんだけれど,初めて訪れた素人が考えるようなことはとっくに松本城側も考えているでしょうから,研究の結果常時対面通行にしたほうが結局早いってことなんでしょうね。
 5階。ここは特になにもないです。が,興味深いのが6階への階段。踊り場があります。踊り場で右に直角に折れ曲がって6階に到達するのです。コンクリ天守はさておき,現存天守や復元天守で踊り場のある階段ってちょっと記憶に無いんだけれど,どこか見落としてますかね?・・・・・・見落としてました。見落としまくってました。松江にも宇和島にも踊り場があるっぽいです。酷いですね。これで現存12天守踏破とかいって喜んでるんだから目も当てられません。いやはや。
 で,最上階の6階です。人があふれておりますが,窓際を確保することは可能です。天井には二十六夜神が祀られております。いやぁ,上で目も当てられないと書きましたが,それでもめでたく現存12天守踏破です。いやぁ,思ったより早く回れました。これは愛媛に住んでて宇和島に簡単に行けたからってのが大きいな。
 そして,おりていきます。4階のいかにも意味ありげなスペースは御座所であることが判明。うん,やっぱり意味がありましたね。
 下りは比較的スムーズでした。

天守2階は現在は鉄砲蔵に。もとは赤羽さんの個人コレクションだったようですね
そして,行列が続きます……
天守3階
天井が低く,暗いです
攻める側からすると,こういう階層は嫌ですね
階段について
天守5階から6階への階段 柱が凄いっすね 天守最上階
木組みがなんともいいですね
守護神二十六夜社
天守6階について 開智学校が見えます 槍ヶ岳・常念岳方向
これらの山鹿見えてるのかは
よく分からない
王が鼻とかの方向ですが,
知った名前の山がないので
コメントをしようがない
市街地&塩尻方向
天守5階 再度階段 武者溜まり的な役割はあったのか 天守4階 御座所
二の丸について 出土品

 そして,辰巳付櫓〜月見櫓を経て,外に出ます。この最後の2つの櫓。あまりスペースは大きくなく,うろちょろすると邪魔な上に,このあとの高ボッチの予定もあるのであまりゆっくり見なかったんですが,この2つの櫓,いいですね。特に月見櫓。月見櫓をもつのは松本のほかは岡山城だけのようです。へぇぇ。この月見櫓,赤い回縁が美しい。なんというか,天守(の付櫓)っぽさが全くないのに調和しているのが不思議。そして,辰巳付櫓にある花頭窓という名前の窓。この名前は知らなかった。



 
辰巳付櫓2階 花頭窓 辰巳付櫓1階〜月見櫓へ 月見櫓 古写真

売店で推されてたので買ってみた
 
松本城と城下町


 そんなわけで,天守を出ました。結論として・・・・・・もう1回,時間的制約がなく,すいてるときに訪れたい。素晴らしい連立天守でした。
 そして,天守まわりを歩きます。時間は無いが,やっぱりせっかくここまできたので。ですが,時間の関係で埋門のチェックとかを忘れました。やはりもう1回訪れたい。


 てことで,これで高ボッチに向かってもよかったんですが,せっかくなので,なにか松本城関連展示があるかな,と思って市立博物館にも寄ってみました。どうしても駆け足になります。
 まあ,期待していたほど松本城にまつわる展示があったわけではないですが,それでも絵図やジオラマがあったので行った価値はあったかと思います。あと,やっぱり風俗や習俗関係の展示は面白いですね。できればもうちょっとじっくり見てみたかった。
 そういえば,国宝天守だけあって外国人観光客が多かったですが,英語の案内がやけに少なかったような。このへん,もうちょっと頑張れるのではなかろうか。

 
棒火矢絵馬

ワラウマ
馬を見るとつい嬉しくなる
悪い癖があります
 
立派なオンマラサマ

4期のピークがあるらしい

 そんなわけで,松本駅に戻ります。
 さらに懲りずに四柱神社に寄り道。四柱神社ってんだから当然祭神は4柱です。このまえ柳川で三柱神社に行ったので,なんか数字が1つ増えていとをかし。



四柱神社鳥居 大手門枡形跡地らしいですが,特に遺構無し 四柱神社 カエルの町らしいです 芸大の学生作らしい

 てことで,よーやく塩尻高ボッチへ。

開智学校

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