ペナン旅行記その13

 そんなわけで,無事空港に着きました。空港バス停はちゃんとターミナル内に入ってくれますし,ほかにも降りる客がたくさんいたので迷うことなし。まあ,GoogleMapさんを凝視してましたので,電池が尽きない限りなんとかなります。便利な世の中ですね。

 さて,空港でまずやることは,荷物を預けられる場所を探すことです。昨晩,頑張って調べたところ,ペナン空港には荷物預かりがあるような記載を発見していたのでした。
 てことで,礼儀としてInformationで荷物預かりの場所を尋ねると……つれない返事。そんなもんない,とのこと。ええっ,マジか。まあ,預り所が無かったら無かったで空港内でひたすら読書しようとは思ってたんだけれど。で,礼儀としてもう1つのInformationで尋ねてみると,2階にあるとのことでした。よかったよかった。まあ,普通荷物預かりをつくるなら出発階だよな。まあ両替を到着階に設置しない空港なので独自基準があっても驚きませんが。
 料金は10RMでありました。

荷物預り所 料金表

 続いてタクシーチケット購入。2回目だから慣れたものです。一応"War Museum"で通じました。まあ,観光パンフにも載ってる場所だしね。ただ,料金は思ってたよりも高く,31.4RM。ジョージタウン市内に行くことを思ったらかなり走行距離が短い印象なんだがなあ。
 てことで,タクシーに乗り込みます。荷物も少なく足取り軽やか。そしてなにしろペナン最後の行き先ですからね。と同時に,実は時間がそこそこ気になってたんですね。時間的に4時前で,WarMuseum自体は6時までやってるから時間はありそうなんですが,過去2日の経験上,夕方になると雨の確率が激増します。前日は「スコールが楽しみ」とか舐めたことを思ってたんですが,それは安全な場所からスコールを眺めていることが前提の平和ボケ発言であり,自分がずぶ濡れになることを待ち望んでいるわけではありません。また,ずぶ濡れになって飛行機に乗ったりしたら飛行機も濡れるしまわりの乗客も迷惑します。

 てことで,タクシーに乗車。すると,タクシーの運転手はWarMuseumを知りませんでした。タクシーチケットまでは余裕だったので,現地的には有名スポットだと思ってたんだが,ちょっと予想外。
 まあ,事実上付近までは一本道であり,最後にまがる交差点を1回誤った以外は思ったよりスムーズにいけました。最後にあまりに曲がる道を理解しなかったので歩いて坂を登ろうかとも思ったんですが,結果的にそこそこ登っていったのでタクシーで助かりました。また,タクシーはチケットだったのでグルグル回っても料金の上乗せは無く,特に追加チップを要求されることも無かったです。結論として,いい運転手さんでした。

戦争博物館

案内板1 案内板2 日本のお地蔵さん的雰囲気の祠
東南アジアでは今まであまりこういうの
見たこと無かったな

 そんなわけで,入場します。受付のおばちゃんからは日本人であることを看破されました。まあ別によいです。で,ここは日本が占領した施設で云々という説明を口頭で受け,最後に「床にある矢印に従って歩け」「この入口は5時に閉まるので,帰りはまわりを回ってでるように」という2つの重要な指令を受けて中に入ります。この2つの指令を忘れると確実に迷子になります(番号と見学順序は一致してない)。

 さて,どこに書くべきか迷うところなのですが,最初に書くことにしました。
 このWarMuseum,どうも森林地帯に埋もれていたものを私人が発掘して整備して博物館にしたもののようです。

 で,イギリス軍が作って日本軍が接収していた遺構をそのまましめやかに展示してくれているだけならそれでいいんですが(自分が見たいのはそれだし),そうではなく,夜間は心霊スポット的になんかイベントをやっているようです。サバイバルゲームにも使われているみたい。まあ本来こういうのは国が史跡指定して余計なことをさせないようにするべき(その代わり維持費も補助する)というものであって,そういうことをしていない(マレーシアの文化財保護法的な法律は知らんです)以上,所有者である私人が好きにすればよいことです。金を出さない奴が口を出すべきじゃ無いのはいうまでもない。
 なんですが……ネットの片隅で愚痴らせていただくと,やっぱり「第2次大戦遺構を見られる博物館」として戦争遺構的なものを求めていっているので,明らかに場違いな雰囲気を醸し出すお化けっぽい奴らを見るとちょっと残念。正確には,ちょっとどころじゃなく残念。あと,そのせいでいくつかの新しめの施設や展示がが「もともとあったものを綺麗にして展示している」のか,「もともとあったわけでは無いけれど盛り上げるために展示してみた」のか分からなくなっております。これが一番残念だな。
 あと,特にマレー戦争とその後のマレー半島支配に関する日本軍についての博物館内の記述は本当なのかいな,と思うところもないわけではないです。もちろん私人の博物館に厳密な考証なんて要求すべきでは無いんでしょうが,それでもやっぱり日本人としては気になってしまうところです。てことで,「サルでも分かる日本軍のマレー支配ペナン編」のような本があったら紹介していただきたいところなのでした。

 とまあ,ネットの片隅で,おそらくここの経営者がこんなページ見ないであろう(日本語も分からないだろう)と高をくくって偉そうに書いておりますが,もちろん行ってよかった場所だと思います。特に当時の遺構がしっかり残ってるので。場所的に行きづらく帰りづらいところにあるけれど,おすすめの場所です。

入口
"WAR MUSEUM"が安っぽい
パンフ裏の内部図 ここを進んでいきます これは自由に着ていいらしい 矢印
Asdang House Conference January 2nd, 1942
おそらく日本の軍令だと思いますが,発したと思われるGeneralの名前が光の反射で分からない,
ついでに写真がぶれぶれという二重のエラーをかましているのでした
イマイチ展示の趣旨が分からないもの

 で,最初にいきなり弾薬備蓄庫。山の中をくりぬいてコンクリで固めたものです。おお,これは面白い。中に進んでく細く暗い道がたまりません。たまりません,とか平和ぼけ発言できることに感謝しつつ進んでいきます。これ,実際この中に入るのかなり勇気いるよなあ。中の仕掛けとか全然分からんし。
 いやあ,正直,これを見られただけでも来た甲斐がありました。素晴らしい。

Amuunition Storage
ドアのカラーリングが本物か偽物か気になる
中に入っていきます。正直暗くて夜はかなり怖いと思う
左右の溝は排水溝なのかトロッコの車輪穴なのか?
壁の厚さは4フィート 部屋
奥にあるのが逃亡口
逃亡口
7メートル進んで9メートル登ると外に出られるらしいです
奥にはしごが見えますね
ほかの部屋 通気口 英国軍の勲章 日本軍の弾薬 Stand

 そんなわけで,いったん外に出ます。いやあでも,あんな地中奥深くに長時間いたら精神的に病んでしまいそうだ。

 続いて,TUNNEL。さっきのは横坑でしたが,今度は竪坑です。これもですねえ,遺構としてはとても面白い。なにか予想外のことがあった場合にはまわりに影響が内容に埋もれるようにできていたってのも興味深い。のですが,放射能マークつけますか。時代的に,少なくとも第2次大戦時のイギリスや日本がここに放射能マークついたものを入れていたとは全く以て思えないんだよなあ。このあたり,放射能アレルギーのある日本人としてはちょっと残念。まあ,こういうマークがついてた方が雰囲気がでると考えたんでしょうし,その心意気を全否定するつもりはないんだけれど。


 そして,Pill Box。直訳すると薬入れなんでしょうが,どうもトーチカのことらしいです。今の姿だけを見るとあまりトーチカっぽくないですが。


 そして,ちょっと下って砲台とその周辺設備。

空気孔 上から見下ろす さっきのトーチカ方向を見上げる 左の塔にはEscape Routeが
あったので,下から上がる秘密通路が
あったと思われます
解説
円形の砲台です 奥には小屋
特に用途は書かれておらず
弾薬庫

 続いて,"BOOBY TRAP ZONE"。別に仕掛けがあったのがここだけ,ってわけではないんでしょうが,とりあえずここにそれっぽいものをまとめてみたんだろうと思います。解説によると,英軍のものと日本軍のものを展示しているようですが,とりあえずぱっと見えたものがどっちのものなのか不明でした。





   
BOOBY-TRAP ZONE 特に解説無し MORTARというのは
迫撃砲のことのようです
Anti-Aircraft pit 日本の支配下避難民たちはタピオカを食べていたらしい

 続いて,井戸方向に矢印が出ていて,景色がいいようなことも書かれているのですが……この日は立入禁止でした。結論として,この砦は基本的に木に覆われていて特に眺めのいいところがなかったので,あちこちに出回っているこの博物館からの景色はこの先に行ったところから撮られたのだろうと推察します。うむ,ここにいけなかったのは素直に残念だな。

井戸への道は閉ざされておりました 英軍の住居のミニチュア
ここの一画にあったとかいうわけではなさそうです
ちょっとよく分からない展示

 そして,階段をのぼって上にむかいます。
 解説によると,この階段は往年のもののようですが……

 
わずかに残る鉄のなにか。手摺り?

 のぼりきったところには再度砲台が登場します。

円形砲台 右のは弾薬庫でしょうか 地下を通るケーブル "Battery"に「砲台」という意味が
あることを初めて知った
中から外を こういうのいらんよねえ 弾薬庫
まさか1カ所に1つだけだった
わけでもないでしょうが
奥の建物
解説がないんですが,用途はなんだったんでしょう
内部 内部展示
BobSmith軍曹です
Saigonの後ろにピリオド打って
次を新しい文にするから,
最初彼がホーチミン氏かと
思いかけたじゃないか
空気弁 上から見ても
なかなか分からないですね
周辺景色

 上にのぼります。すると,高射砲が登場。まあ,特に感想のもちようがないんですが,おそらく武器マニアだったらこの武器に興奮するなりこの武器はここにあるべきじゃないと怒ったりするなり,なんらかの反応をできるんだろうと思います。うむ,やはり知識がないとこういう場所は楽しめないな。
 あと,"Trench Route"という案内があったんですが,解説が無いのでこれもよく分からん。直訳すると塹壕ってことですが,自分がイメージする塹壕とはちょっと違うんだよなあ。尤も,自分がイメージする塹壕って坂の上の雲と戦火の馬の2つしかないんだけど。とりあえず戦火の馬は第1次大戦のイギリス塹壕が出てきたので,それから進化してここの塹壕ができてるってことになるんでしょうが。


 続いてObservation Post。監視台ですな。ここもよく分からない「1930」の看板があります。もし英軍なり日本軍なりが実際につけてたものだとしたらちょっと理由を聞いてみたいところですが,まあ違うんだろうなあ。なんというか,いろいろ残念。
 それはさておき,ここにははしごがあります。実ははしごを使わなくてものぼれたんですが,それはあとから分かった話。正直,かなり久々にはしごを使った気がします。まあ高さもたかがしれてるんですが,運動不足メタボとしては久々のはしごにちょっと緊張。まあ,なんてことないんだけどね。それより,このあたりは虫が多い。虫の種類も分からんし,特に積極的に人間に危害を加えてくることもないんだけど(すくなくとも自分が気付いた範囲では),ちょっと普通に都会の中に生きててここまで多量の虫に出会うことがないのでちょっと新鮮でした。
 ただ,この展望台とかも普段なかなか見られないものだけに(まあ街中にあるはずもないんだが),非常に興味深い遺構です。できればきちんと考証してほしいなあ。


←の窓から覗く

LIGHT CONTROL ROOM

GUARD ROOM
とあります。
監視台と,灯台的な役割を
持っていたのでしょうか

今はがらんとしております
  
正直,今となってはあまり眺めはよくありません
海も見えないし……
ということは,昔は木の茂り方が今とは異なっていたんでしょうね
  
Siren Hand With Stand
おそらく手回し式のサイレンだと思われます

はしごを上から

奥の眼鏡みたいなのは
なんなのでしょうか…
 
さらに上からの眺め。ようやく海が見えた

たくさん虫がわいてました

 正直,この博物館はここまででも十分かな,という感じがありました。てことで,蛇足的(というか,ない方がいいようにさえ思える)感のある後半へ続きます。


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