敗北大坂夏の陣その2

 
 ここに来て知ったことが1つあります。地図に載ってた電車が路面電車でした。あまりにばかばかしすぎる発見で,これを発見とか言ってると地元の方どころかそれ以外の方からも何言ってんだこいつ,って目で見られそうですが,とりあえずGoogleMapしか見てなかったので南北に走ってるこの阪堺線(そもそもこれを「はんかいせん」と読めない)が路面電車だなんて思いも寄らなかったのです。
 全世界に恥をさらすついでに,路面電車に関して言えば,数年前まで「路面電車なんて日本に数本しかないんだろう」とか勘違い甚だしいことを思ってたくらいで全く知識がありません。案外路面電車って残ってるんですよね。ちょっとびっくりです。乗り鉄ではないので全路線起点から終点まで全部乗るとかそんなことをする気はさらさらないんですが,多少の鉄分は入ってる人間ですので,とりあえず各線にちょっとでもいいから乗ってみたいな,という思いはあります。実は残すは京都嵐山あたりにあるやつ(←この表現からしてよく分かってないことがよく分かる)と,あとは豊橋富山という競輪場のある路線なので,もう少しで全部行けます。

 恥さらしついでに,堺っていうともう昔から「堺を押さえた織田信長が経済力を手にして天下に向けて優位に立ちました」みたいな文を読まされておりまして,それ以外の知識は皆無でした。かの有名な大山古墳が堺にあるなんて知らんかった。そして,埋め立ての関係で,堺らしい堺の観光ってなかなか厳しいっぽいな。出島を思い出すけど,出島以上に堺らしさが残ってない。
 とりあえず,今回は大坂の陣関連の場所に行くという目的もあるので,南宗寺に行きます。ぶら〜り。

線路 住吉鳥居前駅
西川眼科駅ではありません
路線案内 御陵前駅

 南宗寺は「なんしゅうじ」と読みます。さっきまで「なんそうじ」と読んでまして,ATOKにもなんそうで南宗寺と変換できるように教育してしまった。恥ずかしい。
 御陵前駅から数分歩くと到着です。お寺のくせに,立ち小便防止には鳥居マークを使うようです。やはり寺院マークよりも鳥居マークの方が良心への影響力が強いんだろうな。
 南宗寺は三好長慶創建で,三好氏の菩提寺です。三好長慶って,畿内にあれだけの勢力を築き上げたのに,織田信長が出てくる前に勢力を弱めて直接対決してないせいもあって,なんかマイナーですよね。なお,生まれが徳島だってことは今回初めて知りました。完全に畿内の人だった。

 ここは,まず境内に入ると重要文化財の甘露門と,三好長慶像がお出迎え。そのあと,ぐるっと回って拝観させていただくことになります。中の拝観には堺市のボランティアガイドがついてくれます。これは土日だからなのかどうかは不明。中は撮影禁止なので,名勝庭園も写真なしです。
 でですね,あとから思えば,このときからちょっと体調が崩れつつあった。単に暑いから疲れてるだけかな,と思ったら違ってたってなわけです。

 まあ,そうはいってもまっすぐ歩くだけの体力は十二分にありました。そして,写真がないので記憶にあるうちに書かねばならん。
 ここ南宗寺は,なんといっても徳川家康死亡地という説があることで有名でありまして,なんと家康公の血を引く三木啓次郎氏がお墓を建立し,松下幸之助氏が名を連ねるという豪華さであります。もともと,ここに東照宮があったらしいですね。そのときだけ使われていたのが唐門とのことです。もともと,秀忠・家光が相次いでここを訪れていたことが不思議がられていた最中,名もなききれいな墓石が発見されたのが家康死亡説の端緒とのことでした。墓碑の撰文はNPO堺のページに詳しい。
 とまあ,そんなこんなでして,ほかに千利休以下千家軍団のお墓,三好長慶のお墓もあり,仏殿の竜の絵も荘厳かつ威厳があり,なかなか楽しめました。

立ち小便禁止
これだけでこの一帯の雰囲気がなんとなく分かります
山門 山内図 参道 塔頭の徳泉庵
甘露門 約束之地 三好長慶像 解説 観音様
塔頭海会寺 塔頭天慶寺 仏殿 ここから中へ

 続いて,当初は行く予定じゃなかったんですが,堺市が案内表示を出してたので大安寺。が,中には入れず,肝心の障壁画を見られないどころか,近づくこともできませんでしたとさ。


門からのぞき見た境内

 そして,再度阪堺線に乗って終点浜寺駅前まで。特に何か事前知識があったわけではないんですが,なんか遠目に南海浜寺公園の駅舎が面白いな,と思ってたら,東京駅を設計した辰野金吾氏の事務所の設計による駅で,登録有形文化財に指定されているとか。へぇぇ。このあたりって,以前岸和田を歩いた際に蛸地蔵駅を見たときを思い出したんですが,なんか面白い駅が多いですね。ある意味南海がこのあたりの駅にお金を突っ込む余裕がなかった,ってことなのかもしれないですが。

浜寺駅前電停 こっちが浜寺公園ですね
浜寺っていうお寺はあるのだろうか
浜寺公園駅 解説 なにかと面白い意匠です

 そして,電車内で寝つつも無事春木で起きて(こういう人間の本能っていつもながら凄いですよね),岸和田競輪場へ。なんだかしらんけど,特観席が300円でした。この安さは素晴らしい。
 そして,場外前橋ともども,勝利。これは大変気持ちよい。……ほんと,ここまでは大坂夏の陣圧勝かと思われたんですが。

グランプリ以来の岸和田競輪 まだグランプリの跡が なんか毎回お好み焼きを
食べてる気がする
またまた特観席であります このポスター自体は
嫌いではない
惜しむらくは,柳さんに
発信力がないこと……

 で,意気揚々と戻ります。戻るに当たって電車を寝過ごして,終点難波まで行ってしまいました。
 まあ気にせず,ホテルに戻ります。そして,西成を歩きます。このころから,また少しなんかおかしいな,という感じはあった。
 ディープな部分は歩いてないんですが,軽い部分だけを歩いた感想として,基本的に競輪場と大差なく,まあ昨今のきれいになりつつある競輪場よりもちょっとあれかな,という程度でした。競輪場みたいに変なおっさんがぶつぶつ言ってるわけでもなければ,粋がったおっさん同士が喧嘩してるわけでもなく。でもまあ,酔っ払ったそれっぽいおっさんがたくさんいるのは確かにちょっと異質な空気ではある。
 それから,ほんまもんの飛田新地を観察。なんというか,訪れてる人が若い集団ばっかりでそっちにびっくりしました。完全に観光地化してるな。「街中ですれ違っても振り返るレベルの美人がそろってる」という触れ込みに関しては,個人的にはどうだろうか,という印象。Qさんに勧められなかったらここに来なかっただろうし,来てみてよかった,とは思います。まあ,文化系としては,こういう異空間はなんとか文化的に存続していってもらいたいもんだと思う次第であります。

 で,そのあとは線路を挟んで逆側へ。串カツでも食べてくか,と思って歩いてたんですが,どこも行列。凄いっすね。そして,このあたりにくるともう西成色なし。それも凄い。
 あと,今更なんですが,ビリケンってなんなんだろうか。人形は1つしかないんだとばっかり思ってたら,たくさんありました。
 んでもって,なんか食欲もイマイチのなか,王将に入って例によって餃子二枚と小ライス。

 ホテルに戻り,テレビを眺めながら就寝……したかったんですが,なんかおかしい。頭痛もするし,消化器官がなんかおかしい。ふらつく。とりあえず横になり続けましたが……。
 翌朝,とりあえず今風呂に入らないと大変そうなので,入船温泉へ。ひとっ風呂浴びて,体内を暖めて汗を流したくらいじゃ体調は戻らず。こんなんでクアトロなんてちょっと到底無理です。壁に寄っかかって座ってられるようなライブじゃないし。
 てことで,ふらつく予定をキャンセルして,本当にふらつきながらなんばのネットカフェへ。無事フラットシートを確保して,ぐったり横になります。横になり続けます。……そして16時30分。やはり体調は元に戻らず。決断を迫られます。To be or not to be. ・・・・・・ここまできて,そして織田さんも登場することが確定的なライブを前にして,撤退決定。

ホテルサンプラザ
新今宮駅 職安に向かって降りる これがかの有名な職安ですな スーパー玉出と,今池湯
ぱっと見,今治湯かと思ってびっくりした
  
スマートボール 通天閣 ビリケン あれがあべのハルカスだ,
という声を信じて撮ってみた
入船温泉

 帰りの新幹線でもぐったりしながら,ふらふらと帰宅。熱を測ったら,38度6分でした。こりゃふらふらになるわけだ。この日の夜は下痢に苦しめられ,翌日行った医者ではデング熱を疑われました。とりあえず認識する限りかに刺された記憶は ないんだよな……。

 てことで,西成を歩けたという意味ではいい経験になったし,わざわざライブのために大阪入りした結果9:30〜16:30までネットカフェで寝てそのままライブに行かずに退散するという惨敗を喫したのもある意味いい経験ではありました。でもまあ,やっぱり,ライブ行きたかったな。


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