ホリノヤマナカ

 続いての目的地は,山中城です。山中城に行くのは2回目。
 今回,山中城に行くことにしたのは,ガバメントクラウドファンディングで山中城が取り上げられているのを知り,そのお礼として,山中城撮影会において,障子堀に入ることができるという夢のような特典があることを知ったからであります。障子堀に入るなんてこんな機会でもないと無理です。これは行かないわけにいかない。
 というわけで,障子堀に入るべく,山中城のクラウドファンディングに申し込み,長老を巻き込んでしまったのでありました。
 ちなみに,山中城は2019年には台風被害に遭い,良くも悪くもそれで被害とクラウドファンディングの存在が周知されたため,2018年の47万6000円から2019年には182万1100円に約4倍増。目標額は150万円のままだったので,2019年は目標額突破というかたちになりました。もちろん,台風被害に遭ったことを考えたら喜べる状態ではないのですが……。

 それはさておき,興国寺城から山中城に攻め込みます。気分は豊臣軍,といいたいところですが,時間がギリギリで,どっちかというと豊臣よりも羽柴時代の急げ急げ行軍な感じです。
 途中,昼食をとるかが論点になり,途中にあったドライブインにいったん寄りましたが,やはり時間的に厳しそうだったので退散。長老にはご迷惑をおかけしました。

 そんなわけで,無事集合時間に間に合いました。
 そして,受付を済ませて,ツアーの開始を待っていると……教育委員会の方が,NPに話しかけてきました。
↑愛媛からの暇人が晒されたasahi.comの記事
 どうも,愛媛などという陸続きですらない海外からわざわざ山中城までやってくる人間のため,関係者なのではないか,と思われてしまったようです。単なる城オタ,しかも超ニワカなのでありまして,先方の期待を大いに裏切ってしまったのでした。
 期待を裏切ったのは仕方ないとして,そもそもなぜ愛媛で反応されたのか,というと,どうも愛媛にはたいそう貴重な古墳があり,そこの関係で愛媛の考古学関係の人とつながりがあったようなのです。こちとら歴史に関しては当然ニワカであり,しかも戦国時代についてさえニワカなのに,古墳時代なんて話題について行けるわけがありません。古墳といったら埴輪,程度の知識しかないのです。
 そんなわけで,「へぇ〜,そんなものあるんですね」という超低レベルなリアクションしかできず,しかも知らないだけでなく,一回聞いた古墳の名前もあっさり忘れる(というかそもそもきちんと聞き取れていない)という体たらく。お恥ずかしいったらありゃしない。
 この「愛媛県で発見された重要な古墳」がなんなのか,やはり気になりますのであとで検索したところ,これは葉佐池古墳という名前であることが判明。もちろん,気になりまくったのでのちに訪問しております。ニワカはニワカなりに頑張るのでありますよ。
(※なお,これを書くために検索してたら,この日についての記事発見。てっきりここには日本中から城オタが大集結してるのだろうと思っていたのに,記事を見ると,「関東のみならず北海道や京都,大阪,愛媛県などからの寄付もある」「京都,大阪,愛媛からのイベント参加者もいた」とあり,新幹線も通っていないような辺鄙な場所から参加した暇人は自分だけのようです。このメンバー構成ならば,私が関係者だと勘違いされたのも納得ですな。それにしても,城オタってこういうのに興味ないのだろうか。あるいは,こういうのにすぐに飛びつくのはやはりニワカだ,ってことなんでしょうかね。まあ,こうして愛媛代表として名前が残ったのはよかったです。でも,「北海道や京都,大阪,愛媛県」って,なんで京都と大阪は「府」がつかないのに愛媛だけ「県」がついてしまったのだろうか。)

 ところで。この手のツアーでは,私は基本的にスマホのメモ帳に解説された内容を書き込むのでありますが,2018年末ころに発生したSoftbankの通信障害の際,何をとち狂ったか私は自分の携帯の接触不良だと思い込み,いったんSIMカードを取り出そうとした……ところ,取り出しに失敗してSIMカードを奥に引っかけて取り出し不能にするという大エラーをかましました。そのためにスマホがめでたく放牧に出ることになりまして,その際にメモ帳データのバックアップを忘れるという二重の大エラーをかましました。
 そんなわけで,この日せっかく解説していただいてスマホにメモした内容はすべてぶっ飛んでいます。そのため,解説された話には多々記憶違いがあります。元々も聞き間違ってる内容が多々あることを考えると,もうダメダメです。
 あと,これを書いている時点では自分が最初に山中城に行ったときの旅行記をまだ作っていません。どっちから作るべきかちょっと迷ったんですが,とりあえずこっちを先行させることにしてみます。今回は解説板なんかはあまり撮っていないので(前回撮った+ツアーのスピードの問題),そのあたりは前回のものを確認しないといかんのだけど(見たところ新しい解説板はなかった),それができないのがつらいところ。

 そんなわけで,ツアースタート。
 まずは,地元の教育委員会が今日に合わせて掘ったという遺構です。今日のツアーに合わせて掘った,というのは,どうも前々からあたりをつけていて,掘ったら当然遺構が出てくるだろう,という確証のもとに掘ったらしいです。ところがどっこい,何も出なかった!という,非常に残念なオチがついてしまったのでした。歴史という魔物を相手にして,なかなか思い通りにことは進まないのです。

酔ったけど結局食べなかった
ドライブイン
民家の奥に土塁が見えます 空堀ならぬ空振り こっちはちゃんと出てたらしい

 そして,いよいよ登城ルートに入ります。このあたりは誰もが入ることができる場所ですね。
 土塁が荒らされているのは,イノシシの所業によるとのことです。別に現代によみがえった北条軍の亡霊が城を取り戻そうと夜な夜な頑張っているわけではないのです。
 二の丸から本丸へと,一行は進んでいきます。

 そして,本丸下段。ここには「矢立の杉」という杉と「大カシ」という樫の木が立っていたのですが……。どうも,この年(2018年)の台風21号などでこの大カシが倒れてしまったらしく,樫の木はすでに無く,駒形諏訪神社も倒木の影響で無残な姿になっておりました。

いざ山中城 ←でも見切れていた
北条の家紋付きの甲冑の人は
もちろん亡霊ではなく
解説の方です
イノシシに荒らされた土塁
この土塁を整備するために,
クラウドファンディングをしているのであります
二の丸から二の丸橋を
振り返ります
二の丸櫓台
(名前ついてたかどうかは忘れた)
二の丸を振り返ります 本丸西橋から見る本丸と二の丸の間の堀
犬走りが広すぎる気がしなくもない
あと,格子に盛大に切り込みが入っているのが気になります(昔の写真を見返したいところ)
本丸上段から
下段を見下ろす
樫の木
駒形諏訪神社。全面の屋根が大変なことになってます 案内板だけが残る大カシ
「空洞や損傷もなく樹勢は良好」という説明文が
ちょっとむなしいですね
樫の木

 それにしても,この樫の木だけでも大惨事なのに,また2019年になって台風災害にみまわれることになるとは……。
 この城が現役だった当時も,こうして災害に見舞われるたびに城を補修しなきゃならなかったんでしょうから,大変です。浅間山の大噴火と武田滅亡,という話はたまに話題になりますが,台風災害との関係ではどうだったんでしょうかね。伊勢湾台風クラスの台風がきてたら織田信長の戦略にも影響してたのかもしれませんし。このあたりはニワカ以下の完全な素人なので「興味深いですね」以上のコメントは一切できないんですが。

 それはさておき。ツアー自体はここからが本番です。このツアーの目玉は,「普段は立ち入り禁止の場所に立ち入ることができる」ことにあるのです。ここからが立ち入り禁止スポット(とはいえ,ちょっとした案内板があったりロープが張られてたりするので,昔は立ち入りOKだったのかもしれない)。
 一行は北の丸の裏手に向かいます。ここには立派な堀があります。国道側を見下ろすと,若干障子っぽくなっているように見えなくもないんですが,果たしてどんなもんだったんでしょうか。
 そして,北の丸の裏手の堀を進みます。見たところ,薬研堀で格子の形跡はありませんが,果たしてどうだったんでしょうかね。

尾根道を進みます 古めの案内板
かつては通行OKだったみたい
堀。ちょっと格子が見えるような気がする 山側。こっちはあまり格子感がない
北の丸裏手の堀 堀の中をぐいぐい進んでいきます(そして,写真撮ってるNPがどんどん抜かされてるのが分かりますね)

 そして,帯郭の下に到達です。なぜか堀がY字に分岐しております。左手に帯郭から出っ張ってるが見えるので,Y字分岐ではなく,ちがった堀の姿だったのかな。ちょっとこのあたりはどういう構造だったのか,ちゃんと帯曲輪を歩かないといかんな。多分前回もこっちは歩いてないし。(あらためて見てみたら,単に北の丸の形を自分が読み違えてるだけな気もしてきた)

正面が帯郭です 左手側の土塁というか,曲輪と,帯郭との間にある堀 のぼりきったあたりから見るとこんな感じ
向かって右手の土塁にのぼり
そこからさらに帯曲輪へ
その右手の堀 ぐるっと見回してみます

 そんなわけでして,無事帯曲輪に到達しました。ここにくれば迷子になることはありません。
 正面に,障子堀が見えます。その奥には,本丸西橋です。こっち側から山中城を攻めたとき,頑張って曲輪に到達したというのに,堀の向こうに本丸や橋が見えるわけですな。当時どれくらい木が生えててどこにどう塀が会ったかは分からないけれど。

奥に障子堀が見えます 障子堀と本丸西橋 溜池

 そして,次なるイベント。障子堀体験です。私はこのために今日ここに来たのです。おそらく,人生でみんなは一度は憧れる障子堀体験。いざ行かん。
 そして,ここで,昔から気になっていたことを聞くことができました。「この障子堀ってかえって堀を乗り越えやすくしてるんじゃないの?」説明によると(この説明を記録したのに消した馬鹿がいるらしい),芝生で覆っているのはあくまで堀の保護のためであり,当時は滑りやすい赤土であったとのことです。そして,堀は今よりも深く,格子も今のように広く歩きやすい形にはなっていなかったようです。
 ですから,今のこの形は世を忍ぶ仮の姿であり,昔はもっと歩きにくい姿だったようなのでありました。

 ちなみに,堀に向かって下りるのはなかなかに怖いです(運動神経のいい人ならばよいですが,NPのような運動音痴の中年は安全そうな堀や安全そうな場所を見分けた方が安全)。分かりづらく例えるならば,パルドゥビツェのアイリッシュバンクを下りる感じでしょうか。
 あと,よかったのは三島市の皆さんが楽しんでいたこと。これだけ楽しんでおられると,こっちも「どこまでやっていいのか」とビクビクしないで済みます。

とにかく美しい障子堀。人類がつくったとは思えないですね。 ここから中に入っていく ドキドキです
下を見ます
分かりづらいですが結構急です
堀の中から撮った写真 西の丸を見上げる

我々は特別なのだ!

 ここからはイベントの最終盤。まずは地元の方による演技。演技自体はいいんだけれど,完全に逆光になっていたのが辛かったです。次年度以降は改善されたかな?でも,後ろの段組を使った演技だから場所を変えるのも容易じゃないだろうな。ううむ,難しいところ。
 そして,ドローンでの空撮。NPの恥ずかしい姿が三島市に保存されているかと思うと,もう申し訳なさでいっぱいです。


 昼を抜いていたので,山中城近くの売店で障子堀ワッフルだけ購入。抹茶の粉でもかけたら緑の山中城障子堀っぽくなりそうにも思えますが,そこは往時の姿に似た感じにしているようです。


 で,夜は沼津でお魚。この日も長老さんにはひたすらにおんぶ抱っこでありました。ありがとうございました。

夜の沼津 丁度競馬新聞が
仕入れられてました
長老にポンドをカツアゲされた図 おさかな天国

 で,翌日は京都。マイルチャンピオンシップを観戦するために新聞を買ったのですよ。


興国寺城京都東寺2018マイルCS



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