セイコートヨダジョー

 セイコー○○というと、1馬の創始者である竹國弘氏の所有馬、というイメージです。セイコーというのはセイコー馬券教室のセイコーだと思うんですが、そもそもの語源はなんなんでしょうかね?もしかしてオールドファンには常識な知識なんでしょうか。もしかしてハイセイコーと関係があったりするんでしょうか。

 閑話休題。

 石下駅から向かうのは、豊田城。豊田城と言えば、いわゆる「天守風建築物」の中でも勝山城と並んで日本でもトップクラスに有名なお城です(なお、本物の豊田城にもあとで行くので「この豊田城は豊田城じゃない、という突っ込みは不要です」)。やはりこういうネタ城は人生で一回は見ておきたいですよね。
 というわけで、駅からちょっと見通しがいいところに行くと、早速どでかい奴が見えてきました。威圧感が半端ないです。距離感覚が狂いますね。


1 櫓その1

 で、城に向かう道路に出てふと左手を見ると、なにかもう1つ城郭風建築物があります。なんだこれは(事前に予習してないことがバレますね)。
 それなりに暑かったのであまり無駄な体力は使いたくなかったんですが、まあ気になりますよね。てことで近づいてみました。


 見ての通り、城郭風建築物ではありますが、特になにも解説も看板もありません。この長細い形を見ると、お祭りの時の山車でも入ってるんじゃないかと思いたくもなるんですが、山車の倉庫なんかだと普通は看板が出てると思うので、違うのかな。でも、こんな場違いな、というか、豊田城とセットにすると場の風景に合っているといえば合っている建築物、豊田城とセットでつくられたと考えざるを得ません。バブル期にどでかい豊田城をつくってしまうのは理解できるとして、こういう櫓?をつくったというのは、この町の特徴的な行動なんじゃないかと思うところですが、どうなんでしょうか。とすると、価値があるのは豊田城そのものというよりも、これらの城郭風建築物を含めた豊田城と櫓群全体になるんじゃないかと思います。この豊田城と櫓・支城群全体を、続100名城のアペンディクスにでも突っ込むわけにはいかんのでしょうか。

2 櫓その2

 気を取り直して、豊田城に向かいます。
 すると……豊田城の手前に、もう1つ見えてきました。これこそまさに、櫓です。なんだなんだ。


 こちらの櫓は、高台の上に石垣があり、その上に立っているという、なんとも面倒くさい構造です。石垣の上に、と書きましたが、正確には入口はフラットな場所に合って、石垣は三方を囲むのみですね。石垣は単なる装飾のようですが、先ほどの櫓にはこんな装飾はなかったわけでして、これらの櫓が量産型ではなく、1つ1つ考えてつくられたことが分かります。

3 豊田城(常総市地域交流センター)

 で、気を取り直して豊田城です。
 この豊田城の近くにあるのが、みんな大好きセイコーマート。セイコーマートと言えば、「北海道と茨城にある」というイメージは持っておりましたが、こんなところにあるんですね。もしかして、豊田城はセイコーマートが北海道から本州に攻め入る際の出城として建築したのではないでしょうか。どこかで平将門軍と合流して関東を制圧し、やがては新皇を名乗って関東からほかのコンビニを追い出す作戦だな。


 この豊田城、それなりの年代物のはずなんですが、とにかく白くて綺麗です。日々掃除が行き届いているのでしょうか。まあ、文化財じゃないからかえってあらゆる手段で掃除ができて外観を綺麗に保てるのかもしれません。なお、城の手前の土地が売りに出されているので、セブンイレブンやローソンはセイコーマートの茨城支配に対抗するために土地を買った方がいいかもしれません。


近づきます 手前の売地が目立ちます 手前の櫓 手前の電線が邪魔ですね こっちの角度だと
電線がないので美しい
長塚節の像
さくらさく 案内図
入場料は無料になったようです
長塚節の句碑 パンフレット
カラーのものは無くなったのでしょうね
天守

 この豊田城、セイコーマートの機密が多数隠されているためでしょうか、内部は撮影禁止となっておりました。このご時世、別に全面禁止にしなくてもいいじゃないか、と思うところではありますが、まあ仕方がありません。

 このコロナ禍の中で、ボタンは綿棒で押す扱いとなっておりました。なかなか珍しい扱いですが、もしかしたら市内に綿棒業者がいるのかもしれません。

 展示内容は、というと、もちろん地域の歴史が多かったんですが、鬼怒川と小貝川の治水の歴史が多かったのが印象的でした。東京にいるとあまり意識しませんが、このあたりはかなり洪水に苦しんできたようで、小貝川のWikipediaを見ても、水害の記録が多く残っているのが分かります。
 あと、知らなかったのは千姫のお墓がこの地にあるということ。千姫といったら伝通院じゃないのね。というか、どういう縁でこの地にお墓がつくられたのだろうか。

渡された綿棒 南西〜西〜北西 石下駅方向 櫓その2を見下ろす 櫓その1
北〜東〜南 展望室内の雰囲気

4 豊田城

 豊田城に向かって歩きます。
 新豊田城から旧(本物の)豊田城まで、徒歩で約30分強。若干だらだら歩いているので本気で歩いたらもうちょっと短いかもしれません。何が辛いって、あまり日陰がないので暑いです。

 堤防の上をダラダラと歩いていると、川の一里塚が見えてきました。「川の一里塚」というのがなんなのかは分からんのですが、単に道路の一里塚の川バージョン、というだけでなく、治水のために一里ごとに管理態勢を敷いているのではないかと思うところです。

堤防上を歩きます 人工物が見えてきました さきほど小貝川の水害を学んだばかりなので
堤防の重要性をしみじみと考えさせられます
豊田排水樋管。
「決壊時水位」の文字が恐ろしいです
川の一里塚。
上善若水。老子から引用された四字熟語です。
一里塚からの眺め

 この川の一里塚をすぎると、すぐに豊田城跡の石碑が登場します。豊田城跡と川の一里塚が近接しているのは偶然だと思いますが、この辺りの土地の所有権が誰がどうなっているのかはちょっとだけ気になります。

 豊田城跡の石碑はいいとして、その脇にある解説板、草に埋もれて下の方が読みづらくなっております。これでいいのか。元の文章を書いたのは石下町で、常総市に編入されたときに再度作り直したものだと思うんですが、もしかしたら自分で文章書いてないから常総市としても気合いが入らないのかもしれません。

豊田城の石碑と解説

 こちらのほんまもんの豊田城については、特に遺構が残っていないことはよく知られております。なので、とりあえずまわりの雰囲気を感じておしまい。
 まあ、小貝川も水害対策で流れをいじっているでしょうから、もともとはどういう状況だったのかは今となっては本当に分からないですね。

石碑付近から排水樋管方向 石碑の向かい
草が茂っていて、
伏兵が隠れ放題です
豊田城の先 下におります
石碑を見上げますが、土塁跡ではなく単なる堤防でしょうね

 この近くに豊田城趾の石碑がもう1つあることは事前調査で知っていたんですが、どこにあるかは分かってませんでした。
 事前のヒントとして、送電塔の下にある、ということが分かっていたので鉄塔を目指します。
 すると、無事石碑に到達致しました。よかったよかった。

 こちらの石碑は、土地改良事業の完成を記念してつくられたもののようですので、おそらく自治体と言うよりも町会あるいは土地改良区など、近隣農家の方主導でつくられたものなのではないかと思います。

この鉄塔の近くにありました 石碑発見!! 正面から 土地改良事業竣工記念 裏側 豊田氏の系図
城趾碑 供養塔 このあたりの農地の雰囲気 再度堤防に上がっていきます 堤防に復帰

5 愛宕神社・長照寺

 豊田城をあとにして、戻ります。さっききた道をまたもダラダラ歩くのかと思うと気が重くなります。重いのは気だけでなく、背中に背負った仕事用の書類とノーパソも重いのです。
 とはいえ、なんか久々に田んぼ近くをしっかりあるいたような気がしていて(富山で佐々堤から岩峅寺跡までだらだら歩いて以来1年半ぶり?)、ちょっとした懐かしさと、水の管理の難しさを感じた次第です。

用水路への取水口 水流観測所

 最後に、堤防から見てちょっと気になっていたお社を覗きます。お社には、まん丸い石が奉納されておりました。自然にできたもので、きれいなので地元で大事にされてきた、ということなのではないかと思います。


 その少し先にあるのが、愛宕神社。防火の守護神です。見るからに新しく、なにがあったのかな、と思って解説を読むと、どうも2011年の東日本大震災でお堂が修復必須になったモノの、川の近くにあることもあって色々な規制があったために今の地に移り、こういう簡素な建物になったようですね。
 ところで、この黒い石に文字を彫る形式の解説はあちこちでみかけますが(豊田城もそうだった)、ぶっちゃけ読みづらいと思うのは自分だけでしょうか。読んで貰うことを期待してないのかもしれないけど。


 この愛宕神社の向かいにあるのが、長照寺。脇から入ってしまったので写真は順番入れ替えてます。
 なにか豊田氏由来の面白いモノがあるかな、という不謹慎な期待を抱いて乗り込んだわけですが、特に何も無かったように思います。


6 櫓その3、櫓その4

 昼食はマクドナルドで。平日のロードサイドのマックはすいていて、密を避けてダラダラ休むには便利な場所です。
 ダラダラと石下駅に向かって歩いていますと、だんだんと豊田城(地域交流センター)が大きく見えてきます。いやあ、本当に目立ちます。

 そして、歩いていると、先ほどは見逃した城郭風建築物がさらに2つ見つかりました。一体どれだけつくったんだ。そして、現在進行形で何に使ってるんだ。

遠くに豊田城(地域交流センター)が見えてきます 常総市の売りは、豊田城、長塚節、平将門です
ただ、豊田城(本物)から豊田城(偽物)に向かう途中に
この表示が出てくるのはなんだか違和感が……
道路をきれいに ふと左前を見ると、櫓が見えます
意識してませんでしたが、豊田城(偽)の展望階から
北を見た写真に確かに写ってました
そして、右前をみると、豊田城(地域交流センター)の左手に櫓が見えます あらためて豊田城・地域交流センター
電線がなければよかったのに……

 では、線路を挟んで反対側。向石毛城&本石毛城へ歩きます。


下妻物語2021タイラノイシゲ


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