ヒメノカンセキ(宇都宮競馬2021・後半)



6 菅原欣也厩舎跡地?

 大川さんのブログで引用されていた昔の地図は、画像サイズが小さいしちょっとデフォルメされていて、部外者がこれを参考に跡地を巡るのには適していませんが、そもそもそういう目的のものではないので仕方がない。とりあえず、駅から近場にある「元厩舎」を目指して歩いてみます。字も読みづらいのですが、西川田駅から一番近い場所にある厩舎(地図だと西川田の右上、方位で言うと西川田の西北西くらい)、おそらく菅原欣也厩舎の跡地に寄ってみます。菅原欣也氏はその後金沢競馬場に移籍されています。1000勝を達成した際の大川さんのブログにリンクを貼っておきます。
 それにしても、市街地にカメラを持ってウロウロする人間、完全に不審者です。しかも、撮影対象は地元の方のお宅。職務質問されたらどうしよう。通報されたらどうしよう。
 ……と、おびえながらちょっと撮影してそそくさと退散。なんとなく「昔厩舎だった」と言われると納得してしまいそうになるような土地建物があります。当時菅原師が何頭くらい管理していたのか分からんので、規模感も想像がつきませんが、とりあえず「このあたりに菅原欣也調教師の厩舎があった」ということで満足しておきたいと思います。

西側から撮影したもの 東側から撮影したもの

7 馬力神

 つづいて、mj・hさんのサイトで紹介されていた「馬力神」の石碑を追います。
 どのようなバックボーンをお持ちの方か存じ上げないのですが、一体全体、どうやってこんなものを発見したのか、本当に心から頭が下がります。
 このような非常に優秀なサイトを見てしまうことの欠点として、どうしても他人の後追いをして終わってしまう、いわばスタンプラリー的なことをして終わってしまいかねないことがあります。とはいえ、せっかく優秀な先人が記録を残しておられる以上、それを無視するわけにもいかない。悩ましいところですね。

 さて、ここで問題になる「馬力神」。またも図書館のリファレンス情報が出ておりまして、栃木県内に274カ所もあるようです。これはどう考えても宇都宮競馬とは(足利競馬とも)無関係な、もっと古くからある馬と人とのつながりを示すものですね。こちらのブログによると、大谷観音の門前にもあったようで、しっかりと見落としている私はダメダメです。

 西川田にある馬力神は2カ所とされています。こちらのサイトの訪問は2009年ですから、それから10年以上経ってまだ残っているかは行ってからのお楽しみ。さあ探索だ!

 1つめ。
 なにかの観光地かと見間違うような、非常に立派な門構えの建物の足下に……ありました!!
 ちっちゃく立っている「馬力神」の石碑。こんなの、事前に下調べしてないと見つけられるわけがありません。凄い凄い。

道路の様子
あまりふらふら歩くと交通の邪魔です
立派な門 その下にありました!!


 ちなみに、このあたり、非常に立派な壁と、立派な門構えの家が多いです。壁は大谷石でできているものが多いのは土地柄よく分かるんですが、立派な門構えの家が多いのはちょっとびっくりです。元々の地主さんが多く、お金をもっておられるのでしょうかね。あるいは、国道を通すときに(あるいは競馬場から?)お金が手に入ったのかな。

 そんなことを思いながら、2つめ。
 こちらはいったんスルーしかけましたが、発見しました。「馬力神」の文字は道路ではなく横を向いています。こんなの、普通に蹴っ飛ばしてどこかに行ってしまいそうです。子供がいたずらで引っこ抜いたりしないのか。犬の小便くらいならかかってそうだけど。
 いやほんと、事前情報がなかったら200%発見できません。本当に、mj・hさんには感謝であります。


8 光音寺

 続いて、ちょっと戻って光音寺。
 競馬場の近くには案外お寺は少なく、ぱっと検索した限りではここくらいではないかと思います。このあたりは元々城下町ではなく街道町なので、宇都宮中心部の寺町のようにお寺がたくさんあることは期待できないとしても、宗派に分かれてもう少し多くてもいいような気もします。
 とはいえ。少ないならば、このお寺にすべてが詰まっているのではないか、という期待を胸に、お寺に入っていきます。なお、お寺でお参りをしたころから雨脚が強くなりました。不純な動機で仏様に会おうとした結果、罰が当たったのかもしれません。

 そんな光音寺、雨の中なのでのんびり桜を眺めるわけにもいかず、とりあえず本堂にお参り。

光音寺へ

 正面には本堂があり、左には薬師堂があります。

正面 左手 観音様 薬師堂 石塔 正面の本堂

 本堂へのお参りを済ませ、傘を差しながらお寺の中をぶらつきます。
 ……とりあえずぶらついた結論として、宇都宮競馬との関連を示すものはゼロでした。いや、競馬と直接関係なくても、これだけ石仏があったら1体くらい馬頭観音が紛れ込んでいて、それをもって「競馬の痕跡があった!」と言い張るくらいの覚悟を持ってぶらついてたんですが、ぐるっと回っただけではそれすら発見できませんでした。無念。
 ちなみに、墓地内もふらふら歩きましたが(完全に不審者だ……)、競馬関係者と同じ名字の家のお墓はありますが、もちろん競馬とのつながりは不明です。

並んでいた石仏等。馬頭観音様っぽいのはおられません 無縁仏 手水も馬でなくて龍です お庭 脇の山門

 そんなわけでして、これ以上お寺とお墓の安寧を破壊すると本気で祟られそうなので、慎ましく退散。

 上にも書きましたが、このあたりの家の特徴として大谷石を使った立派な石造りの建物が多いことと、門が立派なご家庭が多いことが挙げられます。門につられてお寺か観光地かと思って近づくと普通の一般民家だったりして、勝手に盛り上がって勝手にがっかりしておりました。

こんな道を進む
徒歩の人間は想定外ですね
罪を悔い改めなければいけません
それにしても立派なもんですね
栃木の海!

9 競馬場北口バス停

 ここで、ようやく「競馬場」の明確な痕跡を確認できます。競馬場北口バス停です。

 ところで、ここに競馬場北口バス停が存在することは行く前にネット検索で確認してました。が、それをどのサイトから引っ張ったのかがもはや分からなくなっています。行ってから2ヶ月も経っていないのに……。上に上げさせていただいた主要4サイトを見ても、このバス停についての記載がなく、となると他のサイトを見たとしか思えないんですが……。うううう、申し訳ない。
 そして、それゆえの問題として、この交差点。なぜか「競馬場北」という名前がついた交差点だと思い込んでました。正確には、「かつてはそういう名前がついていた」というのが正しいか。これもどこかのサイトで写真入りで見たような記憶だったんですが、そのサイトを発見できず(大川さんのブログに「競馬場北入口」という記載はある)。もしかしたら完全な思い込みかもしれません。

 それはそれとして、交差点を曲がると登場するのが「競馬場北口」のバス停です。これを一目見ようと雨の中大回りして歩いてきたのだ。
 ここから競馬場まで歩いてそこそこあるので「北口」といういかにも近くに入口がありそうなバス停名はいかがなものかという気がしてしまいますが、今となってはそもそも競馬場がないのにその名前でいいのか、というもっと大きな問題が出ていて、こちらとしては「競馬場の名前を残すために未来永劫バス停名を変えないようお願いします」としか言いようがないので、この問題にはこれ以上立ち入らないこととします。
 とにもかくにも、競馬場が廃止されてからもう15年経つのに、この名前が残っていることの素晴らしさ(一般目線からしたらあんな汚物の名前早く消せ、関東バスはとっとと国交省に申し入れろ、となるのでしょうが)をここでしっかりと記憶と記録に留めておきたいと思う所存です。

なぜか「競馬場北」の名前がついてると
思い込んでた交差点
交差点近くにあった石碑
「天下泰平五穀成就」とあり、競馬とは無関係です
競馬場北口バス停!!

 跨線橋を渡って線路の反対側、競馬場側へ向かいます。跨線橋からはカンセキスタジアムの白い屋根が見えます。すなわち、その方向に競馬場があったというわけであります。競馬場があった頃であれば、スタンドや審判塔が見えていた景色になるのではないかと思います。


10 競馬場通り

 跨線橋をわたると、いよいよ競馬場跡地が近づきます。そう、みんなの憧れ「競馬場通り」の登場です。

 大川さんのブログをみるかぎり、このあたりに市澤厩舎があったのではないかと思われます。ほんと、こんなところに厩舎があったなんて信じられんぞ。どういう空気感だったんだ。


 ちなみに、適当に検索していたら、以下のTweetを発見しました。非常に詳しそうな方ですが、具体的にどこにどうなってかまでは分からないな。それにしても、「お肉屋さんのトラックが並んでいた」というのは凄い。部外者がどうこういえるような景色ではないですね。いやはや。
 ちなみに、カヌマオペラオーの成績はこちら。こういうのをパッパと検索して見つけられるんだから、凄い時代です。名前は似てますが、どこぞの世紀末覇王さんとは違い、グランドオペラ産駒です。

交差点のアパートの所は、カヌマオペラオーが居た市澤厩舎跡地。この辺りまで、お肉屋さんのトラックが並んでいた光景は忘れない。当時の外壁がまだ残っているけど、何れ撤去されるでしょう。 #宇都宮競馬 pic.twitter.com/NmjZAayhBw

— ギョウザマスター@GBVゴールデンブレーブスティックバイオレンス (@GYOUZA99) March 14, 2021


 そして。ここで住宅案内図を発見して見てみたら……ありました、「宇都宮競馬場」の文字!!
 競馬場が廃止されてからもう15年以上。その間、修正されることなく残り続けたのがこの住居表示案内図の「宇都宮競馬場」の文字です。いや〜ここまで来た甲斐があった。
 カンセキスタジアムができて、このあたりの区画がそれなりに整理されるとこの案内板も撤去されて新しくなるのでしょう。宇都宮市におかれましては、この案内板を撤去する日を1日でも遅くしていただくように願いたいところです。

宇都宮競馬場!!!

 そして、この陸橋から降りてきた交差点から競馬場に向けて、道路名は「競馬場通り」となっています。これも時代が経つと「スタジアム通り」とか「国体通り」とかに変えられてしまいそうですが、これも時代の波に逆らって古き悪しき名前を残していただきたいものです。

今も残る「競馬場通り」の名前


 さらにさらに、ここに残るのが「競馬場通り」のバス停です。ぱっと見、「競馬場通り」よりも「競馬場北口」の方が競馬場に近そうですが、今残っているバス停では、「競馬場通り」が競馬場の最寄りバス停となります。このバス停は競馬場北口よりもバスの停車量が多いようで、非常に多くの皆様が今もなおバス車内で「競馬場」の文字を目にしたりアナウンスを耳にしたりしているのでしょう。だからどうした、という感じだけど。

競馬場通りバス停 バス停からの眺め

 ちなみに、このあたりまで来ると栃木SCのレプリカを身にまとったサポーターの方がそこそこの数おられます。この方々からしたら、「競馬場」なんて文字はおそらく景色の一部に過ぎないんだろうなあ。

11 競馬場外周(1コーナー)

 栃木SCのレプリカを身にまとった皆様は当然カンセキスタジアム入口へと向かうわけですが、私は空気を読まずに離脱。
 狭い道を通り抜け、競馬場の外周を歩くことにします。この狭い道路はおそらく競馬場時代から変わりなかったのだろうと思います。昔の宇都宮競馬場の姿が残っているサイトを見ていると、「競走馬に注意」という注意書きが石壁に書かれているものが散見されますが、おそらくこのあたりのどこかにあったのだろうな。このあたりを歩いていると、なんとなく浦和駅から浦和競馬場に向かって歩くとき(適当な場所で曲がるせいで向正面側を歩くハメになる)のことを思い出します。

 このあたりの道路形状は完全に競馬場の痕跡を留めておりまして、誰がどこからどう見ても競馬場の形をしています。
 宇都宮競馬場は右回りだったので、おそらくこのあたりは1コーナー。もちろん、その痕跡を示すものはまったくありません……。

細い道に入ったあたりから
馬場方向を見る
おそらく、往時はここに
スタンドがあったはず
細い路地を進む 振り返る 現在地 さらに進んでいきます
1コース脇に到達
工事車両用の道路があるあたりは
馬場があったあたりではないかと思う
ぐる〜っと見回します
工事用の建物が向いている方向と旧スタンドが向いていた方向が違うと思われるので、
イメージの邪魔になりますね……。4枚目の方向にスタンドがあったんじゃないかと思います

12 駐車場跡地

 当初予定ではこのまま右回りに競馬場を回ってからスタジアムに入る予定でした。が、雨で体力と精神力をガリガリ削られていた上に、時間も危なくなっておりまして、ここで折り返してスタジアムに向かうことにしました。

 競馬場の向かいは、かつては競馬場の駐車場だったと思われる場所です。どこからどこまでが駐車場だったのかはちょっとはっきりしませんが、いずれにしても広大な敷地が突然開いたのは確かでしょう。そして、そこは今はカンセキスタジアムの駐車場になっている……のかと思いきや、立派な建物がありました。一瞬、「あれ、もしかして馬主会や調教師会の建物が残ってる?」と思ってしまいたくなりますが、残念ながらそうではありません。泣く子も黙る、創価学会のお出ましです。
 これがもし禅宗なり真言宗あたりのお寺だったら「もしかして馬頭観音あるかな?」と思って乗り込むところなのですが、創価学会にそれを期待するのは無理なところで(「宇都宮競馬場曼荼羅」とかあったりするなら是非公開してほしい)、近寄らずに進みます。
 ちなみに、宇都宮方面の競馬場通りバス停は学会の建物の目の前です。このバス停名が「創価学会前」とかになったら泣きます。

→斜め前方向が駐車場跡地 建物が見えてきた……と思ったら、創価学会でした 宇都宮方面の「競馬場通り」バス停はここにあります
工事案内 工事区画への入口
かつての管理区画への入口も
この辺りだったんじゃなかろうか
正面を見る
右方向が旧駐車場
工事案内
赤くなってる部分の右半分くらいが旧管理区画かな
建設進化論 カンセキスタジアムの
駐車場はこんな感じ

13 カンセキスタジアムから見る競馬場跡地

 そんなわけで、カンセキスタジアムに入ります。スタジアムの向いている方向がこれまた競馬場の外周と平行ではないため、脳内イメージをつくるのが大変です。
 ただ、競技場に向かって左折して、駐車場内を進んでいき、「栃木県総合運動公園の案内図」が出てくる辺り、このあたりが、かつて馬場があった場所なんじゃないかと思われます。このときは雨にやられてて「(旧)馬場を横断している」という意識が薄かったんですが、ちょっと後悔。余裕があったら「かつての直線を歩く」とかやったんだけど。まあ、来年(愛媛FCと栃木SCが同一カテゴリに所属してたら)再確認しよう。
 なお、往時の宇都宮競馬場のスタンド構造などは上記帯に短し襷に長しさんのページが分かりやすいので、それを見ながらこれを書いています。

スタジアムに向かいます
このあたりは競馬場区画の上のはず
正直意識していなかったのだけれど、
多分第3スタンドがあったのはこの辺りだと思う
さらに接近。
正直、雨をしのぎたい一心で何も考えてなかったけど
おそらくこのあたりが旧コース跡地だと思う
スタジアム案内図

 入場口は2階にあるので、上がります。正面はホーム側の入場口ですので、私は大回り。大回りしてなかったら、雨をしのぐために色々見ることも無かったと思うので、これはこれでよかった。


 で、ぐるっと見回します。スタジアムが旧走路と平行になっていないので本当に分かりづらいのですが、とりあえず現創価学会の建物を目印に見る感じですね。
 一応、旧スタンド〜1コーナー辺りを眺めている、ということになりそうです。

ぐるっと見回す。旧スタンド〜パドック跡地〜1コーナーあたりを見ているはず 試合後に撮った写真をもとにGoogleさんがつくったパノラマ写真

14 愛媛FC vs 栃木SC

 はい、ここで過去を振り返るのをやめて、一気に現実に戻ります。そもそも今日は何をしにここまで来たのかというと、サッカーを見に来たのでした。
 新型コロナウィルスの問題が続く中、果たしてアウェイまでやってくる愛媛サポはどれだけいるのか……というのが色々と気になるところでしょうが、良くも悪くも関東組の方が熱心な部分も多く(とりまとめをされている方が非常に行動力があって素晴らしい、というのも大きい)、そこそこの数のサポが来場していたように思います(いかんせん、ホームのニンスタの入場者数が1000人前後なのです)。

 カンセキスタジアムは国体用に新設されたスタジアムなので、当然皇族用のガラス張りスペースもしっかりしており、いかにも現代のスタジアム、という雰囲気です。いやまあ、宇都宮競馬場にもガラス張りのスタンドあっただろ、と言われればそれまでですが。ばっくすたんどの「とちぎ」の文字もインパクトありますね。
 この日は雨でしたが、1階席の後部は屋根があるので全く濡れません。雨用に45リットルのゴミ袋用意してきましたが、使うまでもなかったな。

 ちなみに、栃木の胸スポンサーは、みんな大好きTKC栃木計算センターです。私もお布施してます。が、さっきから宇都宮競馬のことばかり考えてきたので、これがTKCに見えて仕方がない。何回かビジョンでも広告が流れてましたが、そのたびにどこかでTCKと表示されないか期待してみてました。宇都宮競馬場跡地であることを記念して、どこかにTCKの馬券を売る窓口を設置してはどうでしょうか。なんなら国体の馬術競技で馬券売りましょう。

アウェイ入場口 ぐるっと見回す Googleさんがつくってくれたパノラマ写真

 さて。今(これを書いているのは2021年5月中旬)となっては色々と過去の話になってしまいますが、私が和泉監督の姿と和泉監督に率いられた愛媛を見るのは、これが最後ということになりました(再登板の可能性があるのは否定しませんが)。
 こんなことになるのであれば、もうちょっと和泉監督の姿を目に焼き付けて(ついでに写真に撮って)おけばよかったなあ、と思うところなんですが、戦う前から負けを前提に行動なんてできるはずもなく、こればっかりは仕方がない。

 試合の結果は皆さんご存じの通り、1−2で栃木SCの勝利。試合詳細はこちらから(愛媛のページJ公式石本さんのブログ)。なんというか、栃木の激しい当たりに対応できず、ゲームを作れない試合で、非常にストレスの溜まる展開でした。あと、愛媛のスローインが完全に狙われていて、スローインを抑えられるとこうも試合の流れが悪くなるんだな、と実感した次第。サッカーについては素人ですが、大変に興味深い。
 最後の最後にCKから吉田が1点決めました。最後の最後、得失点差が重要になったときに、この1点が大きな意味を持つことを期待します(得失点差を気にせずに残留できればよいのだが)。

アップ前の選手たち アップ中 スターティングイレブン ここでトイレ
サンガスタジアム同様
大の空き具合が分かりやすい
チアダンス 撮影 円陣でエンジンを掛ける
ピッチに散らばる 栃木サポ ハーフタイムのチアダンス
真ん中で宙返りしてますね。凄い。
コロナもあって練習にも制限がついてるでしょうが、
素晴らしいです
さあ後半戦
コーナー 試合終了 お疲れ様でした
      今日のMDP

 ちなみに、試合後は愛媛FCの非公認オンライン勉強会で顔だけ見知った方々とご挨拶させていただきました。シーズンが始まって以降、私は本職(浦和)の方が忙しくなってあまり勉強会に顔を出せていないのですが、こうしていろいろな方々と知り合えるのはありがたいことです。

15 3コーナー〜向正面(左回り)

 はい、というわけで、皆様お疲れ様でした。サッカー観戦を終えて、再度競馬モードです。
 無事雨もやんだので、安心して外周をまわることができます。
 入場時にも書きましたが、このあたりを歩いているときは「馬場があった場所」をまったく意識してませんでした。無念です。
 そして、南側に出ました。このあたりの道路は昔からあった道路ですね(競馬場が載ってる住宅案内図を見れば当時の道路状況が分かるので助かります)。これが「3ヶ月前に廃止された競馬場」とかなら、道路の側溝に外れ馬券でも落ちてないか(1ヶ月前だったら当たり馬券が落ちてないか)を探したりするんですが、いかんせん15年前に廃止された競馬場なので、紙馬券を探すのはちょっと無理があります。

 ただ、この外周道路、国体に向けて?若干整備が進んでいるようでありまして、ラウンドアバウトを作るために現在一部進入禁止になっております。道を広げるのは難しいでしょうが、駐車場からの出口を綺麗に一方通行にしたりするのかもしれません。

スタジアムに別れを告げる 競馬場の南西を走っていた道路 工事案内 再度スタジアム全景
この右側の旧道が
現在通行止め
この道路が通行止めです
だいたい3コーナーのまわりをまわってます
「馬券捨てるな」的案内を
期待しましたが、
残念ながら駐停車禁止
遊園地
宇都宮競馬のキャラクター
とかは発見できず

 外周を左回り、元々の宇都宮競馬とは逆に歩き続けます。3コーナーから直線に向くあたりに到着。このあたりの写真を嬉しそうに撮ってるスーツ姿のおっさんってまわりからどう見られてたのでしょうか。

3コーナーから向正面の直線方向

 そして、向こう正面の直線あたりを歩きます。柵があるので旧馬場の上はあるけませんが……。まあ馬の亡霊であればなんとなく目に浮かんでくるような場所であります。

現在地 2コーナー方向 3コーナー方向を振り返る ここで道路は通行止め そこを越えます

17 西川田公園

 競馬場の向かいに、西川田公園という公園があります。これは厩舎跡地を公園にした……とかではなく、昔から公園だったようです。
 ここになにか痕跡はないかな、ということで進入。公園なので、いろいろな注意看板が立っており、そのたびに「馬券捨てるな」「新聞捨てるな」「馬糞は片付けろ」的な看板を期待したのですが、残念ながらそのようなものは発見できませんでした。上にも書きましたが、さすがに15年経ってると外れ馬券が捨てられても風化して跡形も無くなってるだろうしな……。土を掘ったら馬券出てきたかもしれんけど、そこまでやるほどヒマじゃ無ければ、勝手に公園の土を掘ったりしたら多分なにかしらの法律なり条例なりに引っかかりそうです。
 というわけで、西川田公園は普通の公園です。皆さん安心してお子様を連れてきてください。歩き回って無駄に疲れた……。

西川田公園 動物の遺棄・虐待は犯罪です
競馬への皮肉とも取れなくもない
ゴミやタバコの吸い殻は
お持ち帰りください
残念ながら馬券表記は無し
公園から見るスタジアム 公園内の様子
球技よりも散歩目的の公園ですね
球技を許可して競馬場内にボールが飛んでいくのを
防ぎたかった……なんてことはないか
脇から公園を出たところ
正面が2コーナーの出口

18 2コーナー

 西川田公園を出て、競馬場外周道路に戻ります。この道路はまわりの家よりも一段高いところにあります。馬場自体も、この高さだったのかな?これだと、このあたりの家の2階からレースを見ることはできなかったかもしれません。

 2コーナー外周の道路を進んでいくのですが、フェンスで区切られた旧競馬場側にも舗装された道路があります。しっかりした舗装路なので工事用では無く競技場の一施設としての道路でしょうね。さらに1段あがったこの道路部分は、旧競馬場の馬場の上を走っているものと思われます。道路自体は狭いので、この道路の内側の盛り土部分も旧馬場だと思われるところでして、道路形状以外の競馬場の痕跡がこうして1つ1つ失われていっているのが分かります。

2コーナーから直線 直線側から2コーナー ペット同伴禁止 不法投棄禁止
古そうな看板なので
馬券も視野に入ってたかも
Sakura 2コーナー外周を進んでいきます
2コーナー外周をさらに進む
一段上がったフェンスの内側は競馬場区画内で、おそらくは馬場の上
外周道路は行き止まり 内馬場方向を見る
今はスタジアムだけ
1コーナー方向を見る
ぐる〜っと見回す

19 再度1コーナー

 1〜2コーナーの中間地点(競輪でいう1C)で一旦外周が折れたので、このあたりの住宅街をうろついて、まかり間違ってどこかの道ばたに馬頭観音でもないか探してみましたが、出てくる気配無し。これ以上やると本当に通報されかねないので、外周に戻ります。
 そして、1コーナー外周を逆走。さきほど折り返した地点に到達し、そのまま歩き続けます。

ぐる〜っと見回す 道がボロくなって、終点
さっきも見たけれど
こっち方向が直線
競馬場脇の細道を進む ここまで来ると金網フェンスになるので中が見えます 旧管理区画内 穴があったので
地層に外れ馬券でもないかと
アップにしてみたが
特に何も無し

 というわけで、結果的に競馬場まわりを1周したかたちになります(4コーナーはちょっと飛ばしたけど)。お疲れ様でした。1周1200mくらいの競馬場だったようですから、外周を歩いたとしてもたいした距離ではありません。ちょっといい運動、程度ですかね。

20 調教師会館、馬主会館跡地

 宇都宮競馬場の調教師会館・馬主会館は、どうも駐車場の先にあったようです。そこを右折して、競馬場通りを通って線路を渡っていくことにします。
 なんか「元々厩舎でした」と言われても納得してしまいそうな建物が建ってますが、おそらくは全く関係の無い建物です。特に痕跡はありません。

マンホールも競馬色無し 旧調教師会・馬主会のあたり 旧駐車場方向 そこから右手を見ていく 競馬場通りから
調教師会・馬主会の跡地
競馬場通りを進む

21 第4駐車場

 宇都宮競馬場跡地に別れを告げ、競馬場通りをあるいて西川田駅に戻ります。
 改めて考えてみたら、外周を一周しただけで、「競馬場の痕跡」といえるものは試合前に見た住宅案内図に残る「宇都宮競馬場」の文字とバス停、そして「競馬場通り」という名前だけですので、試合観戦後の行動は完全に無駄足に終わっています。試合の内容も含め、後半戦は非常に疲れの溜まる展開です。
 まあ、廃止されてから15年経っている中で痕跡が残っていることを期待する方が間違ってるのですが……。

 と思って歩いていたら、栃木県による「この駐車場は平成18年1月1日以降、完全閉鎖します」と書かれた看板と、閉鎖された駐車場発見。平成18年1月1日と言えば、宇都宮競馬場が廃止された平成17年から1年も経っていません。これはもしかして競馬場関連かもしれない!!
 と思って、看板写真を撮ったり、道を渡ってひいた写真を撮ったりしていたところ……ありました!「宇都宮競馬場」の文字が入った看板!!
 そう、ここは、旧宇都宮競馬場第4駐車場。その土地が、使われること無く、そして看板も撤去されること無く今まで残っていたのです!

 いやあ、一日の最後に競馬場の痕跡を発見できると気力が回復します。見つけられてよかったよかった。
 ……なお、通常宇都宮競馬場跡地を探索する場合、西川田駅から競馬場通りを通って競馬場跡地に乗り込むので(競馬場通りバス停があるのに北口バス停になんか行かない)、その場合はこの駐車場にある「宇都宮競馬場」の文字がまず目に入ってきます。私の場合、競馬場から西川田方面に歩いていたので発見がおそくなったのでありました。

競馬場通りをさらに歩く それっぽい看板を発見! 道を渡って撮影 再度近寄って駐車場内
そこから右を見たら……宇都宮競馬場の文字発見! 金網の上から撮影 内側から窮屈に見なくても大々的に
「宇都宮競馬場」の文字が残っていた、
「第4駐車場」看板

22 西川田駅回り

 第4駐車場の発見で最後の盛り上がりを見せ、このまま西川田駅に戻ります。
 駅に戻る途中の住宅案内図にも「宇都宮競馬場」の文字がありました。最初に見逃してたのか……。

ここにも「宇都宮競馬場」!

 ちなみに、駅前には「盗犯防止重点地区」の看板があります。これこそ、競馬関係者を意識してるような気がします。
 また、駅東口(競馬場口)の駅前には交番があります。おそらく、競馬場でトラブルが起きた場合にはまずこの交番が対応し、その後宇都宮南警察署が出てくるという流れなのだろうと思います。警察署自体も競馬場から近くにあり、騒擾事件が発生した場合にはすぐに対応できるようになっていますね。これならば浦和サポが栃木戦で大暴れしても大丈夫です。

駅西口 盗犯防止重点地区! エレベーター工事中 案内図
もちろん競馬場はありません
駅東口。駅舎よりもその横の美容院が目立ちます
ちょっと歩いたけれど、競馬的なものは見つからず 駅構内。お疲れ様でした。

23 栗橋駅〜静御前の墓

 東武線という電車は完全にアウェイな電車なので、いまいちどこをどう走っているのか分かりません。乗換案内さんの指示するままに電車に乗り、気付いたら栗橋にいました。
 栗橋、という場所も今回初めて意識した場所であります。どうも気付いたら埼玉県に戻っていたようで、ここでJRに乗換となります。湘南新宿ラインがやってくるまで少し時間があるので、駅前にある静御前の墓に寄ってみることにしました。
 なお、駅構内にある彫刻は佐藤忠良さんの作です。恥ずかしながら佐藤さんのことは存じ上げませんでしたが、「ちゅうりょう」と読むようです。Wikipediaによると、どうも、世界各地の支倉常長像は佐藤さんのつくった像を元につくられているようです。凄いな。

栗橋に到着 三県境
最寄りは栗橋じゃ無かった
様々な看板 アリガトウ
陸橋設置を記念してつくられた佐藤忠良さんの彫刻
右の解説を撮る姿が、その脇にお座りの
女性の盗撮をしてるようにしか見えない……
椅子の設置場はもうちょっとなんとかならんでしょうか
栗橋の街並みと利根川 栗橋駅 1年間の装飾

 栗橋駅を出て少し歩くと、静御前のお墓のある区画に到着です。もうあたりは真っ暗で、当然観光客はいません。解説板はライトアップされているのでありがたい。これをライトアップすることで栗橋・久喜市に利益があるとは思えないのですが、久喜市の皆様の税金を使ってつくられてライトアップされた解説板、ありがたく写真に撮らせていただきました。
 ところで。「静御前の墓が栗橋にある」と聞いて、なんとなくその場では「ああそうなのか」で終わらせてしまったんですが、静御前ってここで亡くなったのかと思ってWikipediaさんに聞いてみたところ、終焉の地にも諸説あり、定説はないようです。何も証拠が無い以上、いかにそれっぽい資料を見つけてそれっぽく話を作るか、ですね。
 暗いので、いかにも静御前の墓っぽいお墓にお参りをして、それ以外のもろもろの石碑はとりあえず写真を撮り、今ようやく見返しています。

クラッセ栗橋の一角にあります 栗橋の観光案内 解説 お墓まわりのスペース 紫色の花があったので
撮ってみた
手水社
静御前のお墓と歌碑 笹龍胆 旧墓石のようです
静女塚碑と歌碑 静御前七百五十年祭慶讃記念塔 インパクトのある絵 ダウンライト

 栗橋からはのんびりと帰宅。雨にやられてどうなるかと思いましたが、なんとか元気に風邪をひくこと無く戻りました。
 ところで、これを書いていて、「宇都宮競馬に行ったときの写真残ってないかな」とか思って過去のデータを漁ってみたんですが、なんと、残っているデータはWeb上に残っているもののみでした。無念。
 代わりに、といってはなんですが、宇都宮競馬場で買った上山競馬の馬券を発掘したので、記念にここに貼っておきます。


 もう上山も宇都宮もない、というか無くなってから15年以上経ってるわけでして、なんかもう平成も遠くになったなあ、と感慨深いですね。

 

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