アサノシハク

6 旭川市博物館

 続いて、旭川市博物館へと向かいます。
 ルート的には、旭川市博物館→三浦綾子文学記念館→神楽→上川神社、といくのが最短ルートだったと思われますが、いかんせん行動が行き当たりばったりなので致し方ありません。時間が余ったから博物館に行こう、程度の思いつきで移動しております。風呂に入った後、徒歩20分以上かけて博物館へと向かうのはなんか別の意味で行動に無駄がある気もしますね。
 入口がどこにあるのかちょっと迷いながら、無事到着です。なんだかんだいっても、道が広くて歩きやすいので助かります。

 ところで、この旭川市博物館、名称は旭川市立博物館ではありません。どういうこだわりがあるのだろうか。

 この博物館に行った目的は、もちろん、旭川が誇る一大産業、旭川競馬場についての資料展示がないかを調べるためです。
 ただ、パンフレットが全面的にアイヌ押し。これは嫌な予感がしますね。でも、アイヌが競馬やってたのだとすれば、ちょっと気になります。さあどうなる。

パンフレット 展示案内 展示の雰囲気

 一部アップしましたが、歴史学習シートはこちらからダウンロードできるようです。

 まずはアイヌの人々の歴史と暮らしから。
 擦文時代・擦文文化という単語、久々に聞きました。前回いつどこで見た単語なのかは思い出せません。てっきり釧路北斗遺跡以来かと思ったら、そこに出てこなかった。北斗遺跡の旅行記を読んでいて、竪穴式住居の入口が四角か三角かで自分的に盛り上がっていたことを思い出しました。ここの入口は四角形なので、三内丸山遺跡に近いですね。

不勉強なので
ゴールデンカムイが何なのか
さっぱり分かりません
イワクテ アイヌに関する展示 アイヌ民族とは? アイヌの世界観 サケの民
40年ぶりにかえってきたサケ 鍛冶屋
古代の住居 暮らし 縄文からアイヌ
農耕と祭 クマ送り(イオマンテ) 大地を耕す
上川アイヌのチセ。おそらく新型コロナウィルスの関係で内部立入禁止でした

 交易コーナー。

交易の民アイヌ 佐波里の椀と大鷲の尾羽 至高の宝、大鷲 アイヌの舟
男性の宝、槍先 女性の宝、タマサイ(首飾り)


 サハリンをめぐってアイヌと元が対立したことが説明されておりました。モンゴルの樺太侵攻(最初樺太振興で変換された。偉い違いだ)というWikipedia項目もありますね。
 Wikipediaを読んでいてへぇーと思ったのは、「当時の元側の地理認識では、日本本土は実際の位置よりかなり南方にあると捉えられており、樺太と日本本土の地理的つながりについての知識が元側にあったとは思えない。」という部分です。なんとなく今の知識で樺太〜北海道〜本州〜九州を見てしまいますが、当時のモンゴル目線では、完全に別の存在と認識されてたのですな。興味深い。

北からの蒙古襲来 アイヌのリーダー

 時代はうつり、屯田兵の住居再現。


 続いて、北方民族の紹介。

 エンチュウ、ニブフ(「フ」は小文字)、ウィルラ、エヴェンキという4民族の紹介です。
 個人的には、民族衣装などにはそんなに興味はないので、ここらへんはサクッといきます。ところで、グレーとか白黒系の色が増えると、なんとなくシベリアを思い浮かべてしまうんですが、これはこっちの方に雪と同系色の動物が多くて毛皮がこういう色になる、ということなのでしょうか??


 アイヌ神謡集を書かれた知花幸恵さんの展示。この岩波文庫のアイヌ神謡集は、家にあり(岩波文庫のブックカバーに釣られて買った)、たまたま旭川に行く前に手に取った(持っていこうかどうか迷った)のでした。記憶に新しい中でこの展示を見られたのも何かの縁でしょう。


 地下に下ります。土器などの展示からスタート。アイヌを前面におすのではなく、一般的な市立博物館展示、という感じですね。途中から、上川アイヌの話が始まります。おそらく、地下の展示がもとからある展示で、1階の展示があとからつくられたものなのではないでしょうか。なので、一部内容が重なってる、と。

 ところで。旭川については競馬の知識しか無い私のような人間が、なぜか「神居古潭」という言葉を知っていました。まあ、墾田永年私財法的に、一回聞いたら忘れない響きとリズムを持った言葉であることは事実なんですが、それにしても何故私はこの言葉を知っているのでしょうか。

先土器時代 縄文時代 続縄文時代
土笛。音も聞けます 北海道のストーンサークル 千歳市キウスの環状土籬
神居古潭のストーンサークル 神居古潭竪穴群 北海道式古墳
擦文時代の暮らし 竪穴住居と梁状遺構 晩秋の錦町5遺跡ムラ 錦町5遺跡ムラの竪穴住居内部
錦町5遺跡ムラの鍛冶工房 縄文時代の上川 擦文時代の上川
上川アイヌの社会 ペニウンクルの一生 ペニウンクルの一生絵巻 石狩場所とペニウンクル
犬と生業 上川アイヌと馬

 旧土人保護法に関する展示が続きます。これは歴史として忘れてはなりません。

北海道旧土人保護法について ペニウンクル略史年表 給与予定地 旭川市近文旧土人
給与地付与願の陳述
第7師団と給与予定地
給与予定地の返還運動 共有財産 上川第五尋常小学校 豊栄尋常小学校における
クマ送り
土人保護委員委嘱状 知花幸恵遺稿(複製)

 そして、開拓期のお話。

開村。上川への道 離宮計画と上川 旭川、永山、神居3村の開村 永山戸長役場 入植
屯田兵の入植
農民移住の始まり
屯田兵の生活 養蚕民家
旭川の米作り
福島団体の農作業暦
温床 移住等に関する資料 旧市役所

 というわけで、明治時代も進み、旭川の産業に関する展示が増えます。また、軍都としての旭川に関する展示も出てきます。
 軍都といえば馬、産業といえば競馬。そう、そもそも私はなにをしにこの博物館までやってきたのかというと、旭川競馬場に関する展示を見るためにやって来たのですよ。アイヌを見に来たのではありません(アイヌに興味はあるんだけど)。
 最北の地でおこなわれるG2戦、ブリーダーズゴールドカップの開催への熱い思い。ライブリマウントが、デュークグランプリが、アルアランが、ウイングアローが駆け抜けた2300m。なんなら優勝カップや優勝レイなんかも展示されてるんではないかと期待が高まります。

師団と旭川 偕行社の品々 旭川の風景
旭川新聞
「ホース」の文字に一瞬ドキッとしますね
師団通4条交差点の街並み 旭川の産業 マル井醤油
列車住宅 今日の暮らし 活気を取り戻す旭川 サンデー旭川
北海道開発大博覧会 旭川の娯楽

 はい。これでおしまいです。「旭川の娯楽」にもまったく競馬が出てこないのは一体どういうことなのでしょうか。デュークグランプリはどこいった。アルアランはどこ行った。ライブリマウントはどこいった。

 とはいえ、よく考えたらみんな知ってる野球の話題も出てきてません。冬のスポーツに関する展示もない。なるほど、旭川博物館というのはスポーツ関係の展示をしない場所なのでしょうな。
 と思って、もう1回1階に戻って見てたら、スタルヒンに関する展示がちょこっとだけありました。でも、冬のスポーツに関する展示は一切無し。旭川からは有名人出てないのでしょうか??

地下展示 スタルヒン 松井梅太郎の木彫り熊

 仕方がないので、売店でなにかそれっぽい本がないか探そうと思ったら……売店は15時閉店でした。無念。

あらためて入口 売店は閉店 入口

 なお、博物館前には「宇宙からのメッセージ」という、なんか宇宙から飛んでくる人工衛星の電波を受けて音や光を発する装置が展示されてました。現在は動いていないようです。
 こんなもん展示する閑があったら、デュークグランプリの馬像でも設置してくれないでしょうか。


7 2日目の夜

 駅に戻り、神居古潭石を眺めます。


 そして、夕食はバスで移動してガスト。毎度お世話になります。

ガスト キャネットって久々に見た 男山 国士無双

三浦綾子文学記念館へ旧々旭川競馬場へ


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