Pembroke Castle前編

1 Connaught Guest HouseのBreakfast

 おはようございます。B&Bの朝は早いです。なにしろ、朝食がありますからね。
 そして、この旅久々のEnglish Breakfastでした。多分Sandown競馬場に行った日の朝以来だと思います。同日の旅行記では「このあと半年以上イングリッシュブレックファストなるものを食べなかった」などと豪語してましたが、完全にこの日の朝食が記憶から飛んでいたようです。

みんな大好き
イングリッシュブレックファスト
B&Bに届いた
Thank you Card
Connaught Guest House
お世話になりました
B&B前の道。Main Streetです 既に閉業とのこと

 この記事を書いていて、久々にGoogle MapでPembrokeを見てみたら、どうもこのB&Bは閉業してしまったようです。最新の口コミは3年前なので、COVID-19の影響なのかどうかはよく分かりません。なんにせよ、お世話になったB&Bなので、幸せな閉じ方をしたことを願うばかりです。

 ちなみに、私のカメラには教会の外観写真が残されており、一体どの教会なのだろうかと必死になってGoogle Mapさんのストリートビューなどを駆使しながら30分以上探していたんですが、なんてことはない、ホテルの斜め向かいにあるSt Michael's Churchでした。

St Michael's Church

2 Pembroke Town Wall

 このあと、私はタウンウォールを目指していたようです。完全に記憶から飛ばしていたんですが、当時の私は以下のメモを残していたのでした。我ながらよくぞ残した。

- 異常に車が多い
- どこから来てどこに向かうのか
- タウンウォールはよく分からんが、とりあえずそれっぽいのはあった

 そんなわけで、車の通行量に悩まされながらも、ペンブロークのタウンウォールを探索します。タウンウォールについては、英語のWikipedia記事があります。とはいえ、私がどういう経緯でここのTown Wallに目をつけたのかは完全に謎です……。
 可能性としては、前日夜に歩いてるときにサインを目にしたから、というものですが、夜にそんな余裕あったかな……。ちなみに、写真のサインはロータリーのところに出ています(この場所を突き止めるのにやはりGoogle Mapさんのストリートビューを15分探した)。

Google Mapさんで
”Pembroke Town Wall”を探すと
ここが出てきます
Town Wallへのサイン Goose's Lane Common Roadにでました

 そして、このCommon Road、Google Mapさんが「ここがTown Wallだ!」と言うんだからここなんでしょう。
 それはいいとして、東に進んで右手(つまり道路北側)に意味ありげな建物があります。Pembroke Town Wall Trustsという基金?団体?があり、ここのトップページには昔の?地図が載っております。そして、私がいるCommon Roadの場所こそが、Town Wallsの場所であり、しかもそこには”Defending Tower”などの注釈がついております。
 おそらくは、今は観光用にも使われていないTown Wall・防御施設の遺構がこれなのでしょうな。Google Mapさんもこのあたりには対応してないです。

Common Roadを進む
歩道の石段が壁の一部っぽく見えたので撮ってみた図
意味ありげな、土台には狭間のついた建物
上記の地図だと”Gazebo”とあります。直訳すると見晴台。
日本的には物見櫓ですね
その先には”The East Tower”の文字が Gazeboを振り返る
さらに進みます 地図ではDefending Towerとありました さらに西へ進む
これも見た感じ何かの遺構です
上を見上げる
方向としては城の方向
振り返る

3 Pembroke街歩き

 城へと向かう途中、Main Streetを歩きます。Town Hallがあったので外観だけ。

Main Streetの様子。ちゃんとCORALがありますね 趣のある外観の建物。Town Hallでした。
こちらも趣のある建物
保険代理店のようです
あらためてMain Street St Mary教会

4 Pembroke Castle

 さあ、いよいよペンブローク城です。入場料は6ポンド。

城に接近 2度の大戦の慰霊碑 さらに接近 振り返る

 とりあえず、パンフレットをゲットしました。さらに、ここも売店で簡単な解説本をゲットしています。ほんと、Chepstowのときに自分が買った本のことを完全に頭から消してたのが恥ずかしい。
 ガイドブックは、Caerphilly同様、城の歴史→城の内部案内、という構成です。なお、縄張り図をみると、城の東壁の外側に”Line of Ditch”という文字があります。現地でちゃんと読んでたら、堀をしっかり見ていったはずなんですが、もちろんそんなことはしておりません。

パンフレット 書籍から
ガイドブック 見開きの縄張り図 ガイドブック

4.1 Barbican・Gatehouse外部(Main Entrance)

 名称は基本的にガイドブックの縄張り図に従うことにします。
 まずは、Main Entranceを抜けて、円形のBarbican。そして、右に折れるとGatehouseという構造です。日本でいうところの外升形構造ですね。Barbicanは英辞郎さんによると外堡と翻訳されました。あまりこのあたりの城を稜堡式城郭として認識してなかったのですが、稜堡式城郭以外でもこの用語を使うのかな?まあ、円形なので升形ではないのも事実なのだけど。

Main Entrance
ここは落とし格子などはなさそう
上部の狭間 右の円塔
(Barbican Tower)
入ります 正面の上を見上げる 右手に行くと
Gatehouse
Barbicanをぐるっと
外壁は崩れてこんな感じになったんじゃないかと思う
Welcome to Pembroke Castle Main Entranceを振り返る
上に登れるようになってます

4.2 Gatehouse

 では、Gatehouseへと入ります。簡素な入口だったMain Entranceとは異なり、ここは一昨日みたような重厚な櫓門です。3階建てで、門の両側にはどちらも部屋があります。落とし格子のトラップなどもしっかりついていたような形跡もみられますね。

正面を見る 上部
なんか色々とはめ込まれてたっぽい雰囲気
Gatehouseの構造 15世紀のPembroke城 小部屋 螺旋階段で
上にのぼります

 そして、Gatehouse2階へと進みます。

隅からぐるっと見回す 別角度を

 ここには、壁に過去の戦いについての解説が掲示されています。このあたり、高校で勉強したはずの世界史の知識が完全にぶっ飛んでおりまして、Wikipediaを参照しつつみていくことになります。
 最初に出てくる解説は、1797年の”The Last Invasion”。なにかというと、ナポレオン戦争の対仏大同盟崩壊後、イギリスがフランスとの戦いを続け、その最終盤の戦争、ということになるのだと思われます。
 日本語のWikipediaだけ追いかけると、第一次対仏大同盟の記事のラストは「第一次対仏大同盟は崩壊し、イギリスだけが交戦を続けることとなった。」と、イギリス放置で終了しております。途中打切のアニメ感がありますね。英語のWikipediaですと、War of First Coalitionの記事ではInvasion of Great Britainという項が設けられており、William Tate率いるフランス軍がFishguard近くのCarreg Wastad Pointから上陸し、イギリス軍と戦争になったことが分かります。このBattle of Fishguardにおいてイギリス軍が勝利(フランス軍の士気の低さから戦闘はほとんどなかったようですが)し、Tateさんも捕虜になったようでして、これは現時点で(そして未来永劫であることを願いますが)イギリスに他国軍が上陸した最後の戦争であるとのことです。

 ……という前提知識を当時持っていれば、もうちょっと楽しめたんでしょうけれど、残念ながら当時はそんな知識ゼロです。
 そして、Wales北岸のFishguardでの戦争はいいとして、Pembroke城はどう関係するのか、となりますと、もはやWikipediaレベルではいかんともしがたい。どうも、Pembroke Yeomanryという軍隊組織がおり、その活躍ぶりが案内されている、ということのようですね。Yeomanryは義勇農騎兵団と訳されております。
 そんなわけで、壁の解説書き自体は、Pembroke YeomanryのWikipediaを参照しつつみていくのがいいのだと思います。誰か日本語版Wikipediaをつくってくれないでしょうか。競馬のWikipediaだとやけに日本語記事多かったんですが、イギリスの歴史マニアはいないのか(すべて他人任せ)。

The Last Invasion The Surrender of the French at Fishguard
Art UKにもある絵ですが、unknown artist
だとのことです
1794年
Pembroke Yeomanryの結成
1797年
The French Invasion
1839年
Rebecca Riots
レベッカ暴動については
帝塚山大学の梶本元信先生が
論文を書かれてるみたい
1848年
After the Riots
1900年
ボーア戦争
1916年
Middle East
1918年
France
1920年
Clouds on the Horizon
1942年
北アフリカ〜イタリア
1946年
After the War
Sir Ivor Philipps

 3階へと上っていきます。

さらば2階 壁面解説は売られてるらしいけど
なんで買わなかったんだっけかな

 ここにはペンブローク城のジオラマが2つあります。1つはThe Timber Castleと呼ばれる木の城。もう1つは今残っているものに近い石の城。

まずは木の城。北から南方向→ぐる〜っと回っていきます。北の川沿いにある洞窟が気になりますね 木の城の鳥瞰図
続いて石の城をぐる〜っと

 壁際には解説があります。基本的にはペンブローク城の歴史まわりのことが書かれています。これは本にもある程度あるし、現場が暗くて解説を写真に撮ってもきれいにならないので、一部だけアップしていきます。

ノルマン人が建設 下部の解説 Timber Castle 12世紀半ばの領土関係
現代に到達しました 室内の様子 剣を持てます

 このGatehouseから怪しい通路が続いており、Henry 7 Towerへとでることになります。

Towerへの道 Gatehouseへの扉 Gatehouse方向への道 Towerの螺旋階段
Tower内には、ヘンリー7世の出産シーン

 というわけで、ここペンブローク城はヘンリー7世が出生した城として知られているのであります。
 ここで学がある人ならば、「おお、あのヘンリー7世はここで生まれたのか!」と感動できるわけですが、残念ながら無学な私は「……誰??」という反応で終わってしまいます。

 そんなときに助けてくれるのが我らがWikipedia。さすがにヘンリー7世テューダー朝の記事は作成されています。ありがたや。
 このヘンリー7世は、テューダー朝の初代イングランド王、ということのようです。バラ戦争で弱体化したイングランドのランカスター家とヨーク家の間を縫って、ウェールズの勢力を背景に持つヘンリー・テューダーがのし上がった、という感じでしょうか。
 イギリスの歴史は今改めて本を読み直して勉強しようと思ってはいるのですが、おっさんになるとヘンリーだのジェームズだのチャールズだのメアリだのが乱舞するこの国の歴史をマスターするのは容易ではありません。困ったものです。

 なんにせよ、ウェールズ由来のテューダー朝がイングランド王になった、というのは歴史的に見て、特にウェールズから見れば非常に重要なことなのではないかと思います。
 それよりも、みんな知ってる名馬オーエンテューダーは、ヘンリー7世の祖父であることにビックリしました。たしかに、名前に”テューダー”と入っています。なんでこれまで気付かなかったんだろう。
 オーエンテューダーの孫がヘンリー7世なわけですから、オーエンテューダーの孫であるハマノパレードやハシハーミットは実質的にヘンリー7世であり、イングランド王であったといってもいいのではないでしょうか。だめでしょうか。


Ffos Las競馬場後半Pembroke Castle後編


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