ノトノシロマワリ

 さてさて。後半戦です。七尾城のメインイベントである五段石垣,それから本丸を回るだけの人はここで戻るのでしょう。ここまででも15分は不可能だと思うのですが(自分は30分強かかっている),運転手さんの発言は忘れることにします。

 このあとは,二の丸です。
 が,その前に。道が二手に分かれます。左手に案内が出ているのが,九尺石。九尺もの大きな石があることから名付けられたようです。もちろん,「九尺石」という名前を見たときに「1尺って何センチだっけ」と検索しないといけないくらい,NPは知識がないお馬鹿さんです(答えは約30cm)。
 解説には,「城の鎮護のかなめ石」とありますが,ちょっとこれがどういう役割だったのかはこれだけだと分かりません。いわゆる,鏡石的な役割のもの
 そして,いかにもここから道が続くように見えるわけですが(そうじゃ無いと虎口の意味が無いしな),このあたりはパンフレットを見ても現地解説を見てもよく分かりません。多分搦手門虎口のような扱いだったのではなかろうかと。

道が分岐します 九尺石の方に進む 解説 平成29年7月災害からの
復旧作業中です
虎口の様子 何段にもなってますが
これはもちろん現代の作
大きな石が並んでいるのが分かります
九尺石というのは,特定の石のことではないように思われます
桜馬場方向を見る この虎口周りは急な崖になってます

 で,戻って二の丸へ。二の丸の下にあるのが,温井屋敷跡。おい,桜馬場の周りは裏切り者だらけじゃないか。どうなってるんだ。
 というかまあ,このあたりにいる家老だからこそ上杉側も調略の価値があったわけですな。

解説
日光と影で見づらいな
分岐点から二の丸方向
左手の平地が温井屋敷跡ですね
温井屋敷跡
今となっては何もない平地

 そして,二の丸へ。
 二の丸の下も立派な石垣があります。なんだなんだ。こんなところにこんなにも素晴らしい石垣があったとは!!もっと注目されてもいいじゃないか。
 こっちの石垣は,桜馬場下五段石垣や本丸三段石垣に比べて緑で覆われておりまして,あるいみ廃墟感はあるものの植物にいろいろと浸食されないか心配になります(1段目は立ち入り禁止だしね)。まあ,ここに再来する可能性が低い素人が心配してみたところで仕方がありません。

奥に見えるは二の丸石垣 登城路から見る石垣 一段目の石垣 温井屋敷跡から見上げる 温井屋敷跡から
九尺石方向
登城路も下は石です
一段目をアップで こっちは二段目 上から見下ろす
この広さだと,なにか建物があったと考えるのが自然ですね

 てなわけで,二の丸。ここも広いです。
 百名城認定後に作られた解説板が設置されていて,椅子もあったりと,一応公園として皆さんが休むことが想定されておりますが,実際にどこまで使われているかは謎です。
 そして,奥に櫓台っぽい場所があったんですが,再現CGをみてもいまいちよく分からず。

二の丸です! 登ったところからの眺め
ここも枡形感がない
ちょっと進んで
広々としております
奥には解説板
絵はあまり正確ではなさそう
二の丸下の1段目もはっきりしてないし
解説板側から見る二の丸
解説板の奥はちょっと高くなっている
三の丸へ向かう虎口を見下ろす位置にあり,
いかにも櫓台,という雰囲気ですが特に説明はありません
虎口 再現CG
高くなっている場所の
様子はよく分からない
櫓台っぽい場所から
二の丸を振り返る
櫓台っぽい場所から
見える景色
木が邪魔ですが,
木がなければかなり
眺望は開けてたはず
ここから見下ろす
急斜面になっております

 さて,ここから三の丸に向かって下りていきます。これもなかなかの急斜面。後世に作られた階段を使うことになります。かつてはつづら折りの道だったのでしょうか。それとも,木の階段か何かがあって,いざとなったら壊すことができるようにしていたのでしょうか。
 そして,谷底に着きます。いかにも,な堀切でありまして,その名も「大堀切」。そのまんまですね。

こんな感じに下りる 二の丸の下を進む さらに下る 堀切に到着 正面には三の丸
このあとは三の丸の
下を進むことになる
大堀切 先もぐいっとえぐられています ちょっと暗いけど,大堀切!1枚目は奥(二の丸からの道をまっすぐ行った場所)
2・3枚目は手前(三の丸への道の入り口当たり)から
二の丸からこんな道を
おりてきました
三の丸の下を進む 上が三の丸 こんな道をのぼって三の丸へ 三の丸の下にも
石垣っぽいのが見える

 というわけで,無事三の丸に到着です。思ってた以上にアップダウンがきつい。三の丸は,本丸〜二の丸とは大堀切で隔絶されていて,完全な独立の曲輪になっております。
 そして,この曲輪が最大規模の曲輪であるとのこと。なんというか,この曲輪単体で一つの城といってもいいんじゃなかろうか。いかにもかつて建物がありました,という感じに石が残されており,かつてはどのような建物が並んでいたのか,興味は尽きません。

南北110m東西25m
曲輪の中では最大規模
虎口からぐるっと見回してみる 虎口周りに石が並ぶのでここに建物があったんでしょうね
奥と手前
とにかく広くて平坦です
手前側奥(二の丸から入ってきたら右奥)には
櫓台があってもおかしくない空気感はあります
安寧寺への道 虎口の奥に石垣 安寧寺口から見る三の丸 いざ安寧寺へ

 さてさて,またまた三の丸から急階段を下っていきます。メタボにはいい運動になりますね。
 安寧寺跡には,慰霊塔と墓碑。ですが,安寧寺があったことを示す礎石などは一切残っておりません。麓に持って行ったのでしょうかね??

こんな道を下ります さらに進む 「袴腰」と名付けられた腰曲輪に到着 袴腰から三の丸に登る階段が見えます
安寧寺跡 安寧寺跡
寺院の礎石は見当たらず
墓碑などが残ります 慰霊塔 墓碑 畠山氏の家紋
開山記念桜 安寧寺の曲輪の虎口 下の道を進む
袴腰の下ですね
ここからの景色 小丸山城趾

 さて,先を急ぎます。といいつつ,先ほど見逃した袴腰をチラ見。


 そのまま,道を進みます。この時点で時間は9時50分。あと10分しかありません。なんだなんだ。やっぱり90分必要だったんじゃないか。
 若干小走りになりながら進みます。すると,下の土が軟らかくなります。これはきっと水場の跡地に違いない。
 と思っていると,無事「とよの水」という水源地を発見。これまで井戸らしきものの跡はさっぱり見つかりませんでしたが,ようやくここに来て水源を発見しました。それにしても,この水源まで本丸からはそこそこの距離がありますし,なにしろ三の丸直下なのはいいとしても本丸からは裏切り者の遊佐君の家を抜けていかないと到達できません。これは恐ろしい。
 まあ,このとよの水以外にも井戸なり水源なりはあったのでしょう。雪が降る場所だろうから,地下水はあっただろうし。

進んでいきます 地面が柔らかくなった とよの水 今は木管から水が流れてます
上からここに下りてこられそうな
空気感があります
石垣が見えます ここからの景色 ここのウッドチップは七尾高校2年生に
ボランティアで(無料で)整備してもらったものです

 そして,最後に寺屋敷跡。さすがにここは時間がないのでスキップします。無念。
 まあ,さっきまでの傾向から,多分何も残されていないはず。

進みます 時間がないくせに
振り返ってみる
分岐点 寺屋敷跡入り口
ここに解説があるということは設置者も
奥まで行くことを期待してないということですね!

 最後の上り坂を進みます。メタボにとって最後の試練であります。10時まで時間がない。
 ちょっとのぼると,見覚えのある,美しい五段石垣が見えてきます。おお,戻ってきた!!
 そして,この角度からの五段石垣も素晴らしい

最後の上り坂 五段石垣が見えてきた 振り返る
何かと思ったら保安林の解説 一段目から見上げる五段石垣
最後に五段石垣。さらば!! 最後に調度丸

 そんなわけで,最後に五段石垣を見て,戻ります。時間がやばいので最後の直線は小走り。なんとか,数分の遅刻でタクシーに乗り込むことができました。
 結論として,へたに寺屋敷でだらだらせずに済んだので,75分設定でよかったかもしれないな。そして,ここを早めに済ませたので電車までまだ90分あります。これだけあれば小丸山城趾を見ることができます。
 というわけで,タクシーで向かうは広末さんの職場です。

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