クキノアシカガ


 新型コロナウイルスで様々な活動に制限がかかる2021年。緊急事態宣言が明けた栃木県で、相川七瀬のライブがおこなわれることになりました。
 場所は栃木県野木町のエニスホール。どこだそれ、という感じですが、栃木県で最も埼玉寄りの場所に位置する街のようです。

 そんな野木町に遠征すべく、早起きの苦手な私は南浦和に前泊して乗り込むことにしました。あまり行く場所じゃないので、せっかくなのでセットにしてしまおう。


大谷場氷川神社

 南浦和は乗換駅であり、住宅地でもありますので、観光地があるわけではありません。というわけで、非観光地な場所ではとりあえず神社に参拝してお茶を濁すのが通例であります。
 てなわけで、駅から近くにある大谷場氷川神社。狛犬の代わりに狛キジがいることが知られています。うん、面白そう。

 ホテルから適当に歩いて行ったので、参道がどっちを向いているか分からず、裏の車道からのぼっていくかたちになりました。車道脇には、かわいい置物があったり、花の案内があったりして、参拝客の心を温めてくれます。素晴らしい。

ふくろうがお出迎え イペーの案内
黄色い花なのでこれがイペーかと思って撮ったけど、違うな
リス

 裏から入ってしまったので、拝殿が先に登場してしまうのですが、写真の都合上、表参道の鳥居からスタート。
 みんな大注目の狛キジもここにいます。

鳥居 御由緒 狛キジ。右手の口はちょっとだけあいてるので、一応阿吽のかたちなんですね うさぎ

 ここは本殿が浦和市の文化財に、ユリノキが市の天然記念物に指定されています。このあたりは大宮の氷川神社に関連してか、氷川神社と名のつく神社多いですね。何か書くとボロが出るので神社論は書きませんが。

拝殿 本殿は覆われていてよく分からず ユリノキ


泊まったのは
ホテルニュー埼玉
「ニュー」がつくホテルは
令和期には既に
ニューではなくなってるのが通例
駅構内のかねすえ

 南浦和というのは乗換駅として利用したことはありますが、乗換以外の目的で使ったのは初めて、改札外に出たのもおそらく初めてでした。
 駅構内に懐かしのかねすえがあってちょっとびっくり。こんなところに出店してるんですね。なお、高松の店にあるあのわらび餅の模型はありませんでした。


 南浦和はこの程度にして、北を目指します。宇都宮線に乗って、まずは久喜で下車。宇都宮線まわりでどこを見ようか、と思ったときに、実はあまりいい観光地がないんですよね。もちろん大宮で降りて競輪場に行く、という選択肢は(緊急事態宣言下なので)ありません。盆栽の博物館とかにも興味はありますが、大宮に行く機会はまたいずれおとずれるでしょう。

 で、久喜でまず何をするかというと、昼食です。朝を食べていないので、この日の食事はこれが最初になります。
 若いころならば遠方に行くと真っ先にラーメン屋を探してたんですが、もう中年メタボですので、よほどの名物じゃない限りラーメン屋は探しません。じゃあ代わりにどこに行くか、となったときに、どこかでゆっくり読書したいな、と思い(旅行の目的の1/5は読書です)、マックかサイゼリヤを探したところ、サイゼリヤが見つかったので行くことにしました。結局行くのはメタボなお店なのです。このへんはどうしようもありません。
 久喜のサイゼリヤは地下にあり、地下に降りたときに「そういえばこんな景色あったな」と思い出しました。そう、このサイゼリヤは1年ちょっと前に仕事で来たことがあったのです。すっかり忘れてました。うん、これはいい記念になる(なにがどう記念なのかは分からない)、と思って入店。

 サイゼリヤは高校生が多い印象で、実はあまり行ったことがありません。自分が高校の頃はマックにこもってましたし、代々木といえばマックでした。いつから代々木にサイゼリヤがあるのか、自分が学生の頃からあったのかも含めて分かってませんが、とりあえずサイゼリヤに行くようになったのは本当にここ数年、おそらく入店回数は1桁です。なんとなくアウェイなお店なのです。

 まあ、ごたくはどうでもいいですね。昼食食べつつ、ちょっとのんびりしつつ、コーヒーでカフェイン補充しました。ごちそうさまでした。

サイゼリヤへの道


足利政氏館跡(甘棠院)

 久喜駅からてくてく歩いて、足利政氏館跡に到着です。今は甘棠院というお寺さんになっております。ここも入るルートを誤り、脇の車の出入り口から乗り込んでしまったので、一旦総門の外に出ます。
 総門は南側を向いておりまして、おそらく旧足利政氏館も同様に南を向いていたのではないでしょうか。総門脇の案内板は生け垣に阻まれた上に、昭和62年から浴び続けた南からの日光で焼けておりまして、読めたものではありません。「久喜市教育委員会」という上からの張り紙だけ目立ってますが、これでいいのでしょうか。久喜市がいつどのように合併したのか知らないんだけど、久喜駅の近くだし、町名は「本町」だし、てっきりここは旧久喜市内だと思ってましたが、もしかして違うのかな。まあ、平成の領土争いには現時点でそんなに興味はありません。

 非常に目立つのが、丸に二つ引の家紋。足利アピールが凄いですね。由緒正しきお寺でありますな。足利家紋家紋家紋(リズムは浦和カモンで)。

 そこから、下には仏足石があったりしますが、これは途中で途絶えておりまして、なぜここだけ?感もあったりしました。まあ、気にしないで進みますと、山門登場。そして、山門の左右には、みんな大好き空堀が今なおしっかると残っております。これを見に来た。

総門 総門脇の解説板
教育委員会アピールが凄い
あらためて総門 随所に丸に二つ引き 下には仏様の足跡 ここで途絶えます
進みます 山門 山門に向かって左側の堀 同じく右側の堀 山門 山号

 ある意味山門をくぐる前の空堀がピークなので、これで終わりです。
 改めて解説板を眺めながら復習。足利政氏さんは、泣く子も黙る古河公方。第2代です。古河公方が泣く子を黙らせる力を失ったのは第4代以降です。足利政氏の「政」は、8代将軍足利義政からきてるんですね。なるほど。これでだいたい時代が分かります。Wikipedia情報しか持っていませんが、息子の足利高基との親子げんかに負けて、古河を追われてここにたどり着いた、ということのようです。甘棠院はWikipedia記事もあるんだな。このあたりの情勢が全く分かっていないのは、扇谷上杉と山内上杉の勢力図とかが全然頭に入っていないことが原因だな。こいつら、紛らわしくて困ります。

 そんなわけで、堀に囲まれたこの足利政氏館。とりあえず本堂への道は門で閉ざされておりますので、アバカムを使えない私としては隙間から写真を撮ることしかできません。基本的にはいわゆる葬式仏教寺院になっているようで、この日もお墓参りの方が来られておりました。あまり邪魔するのも悪い、というかお墓参り以外の目的でここをうろつくと墓荒らしと間違えられそうなので、とりあえず向かって左手、西側の堀を確認して終わります。なお、どこかに足利政氏のお墓である五輪塔があるはずで、ここを解説する各サイトにもその写真が挙がっているのですが、お馬鹿NPは発見できませんでした。無念。
 東側の堀は埋められていることは、そもそもこのお寺に東側から入ってきているので分かっております。

境内 本堂への門は
固く閉ざされております
隙間から覗く 解説
こっちは日焼けしてません
車用のシャッターも閉まっております
ここにも丸に二つ引きの家紋がありますね
西側の堀。まずは向かって左方向 向かって右方向 政氏の五輪塔が
見つからなかったので
代わりに無縁仏を

 この足利政氏館、北側にも堀があるようなので、北にまわってみることにします。意味ありげに、北には公園があるようです。
 この公園は、甘棠院史跡公園という名前がついております。解説を読むと、平成13年の発掘調査の際に発見された堀のかたちに芝が植えられている、とのことですが……そもそも肝心の解説板が一部剥げていて読めない上に、冬だということもあって芝生の位置も分かりづらい。少なくとも、パッと見る限り「芝の位置に堀があった」といわれてもイメージがわきません。無念。これはおそらくどこかに発掘調査報告書が転がっているのでそこを見た方がいいのでしょう。残念ながら、今日はそんな暇も無いですし、今日以降もそこまでこの遺跡に時間と気合いを入れられないので、これで終わりです。

解説その1 解説その2
こっちの解説が
剥げまくってて残念
「」の中に何があったのか
私の濁った心の目では
読むことができません
これは普通の公園の注意事項 史跡公園内の様子
芝生がどこにどういう形で植えられているのかも判別できず……

久喜藩陣屋跡

 久喜駅に戻るついでに、久喜藩陣屋跡にも寄ります。
 ここは、当日足利政氏館でいろいろなサイトを見るまで存在を知らなかったんですが、近くに何かあるっぽい、ということで寄ってみた次第です。
 今は「御陣山児童遊園」という、なんとなく意味がありそうな名前の公園になっています。ただ、「山」という言葉をきくと、なんか陣屋があった場所じゃないような気もしますね。はてさて。

 というわけで、児童遊園に近づくと、小高い山というか丘があり、そこに太い木がどど〜んと鎮座しています。うん、陣屋のイメージが全くわいてきません。どこに陣屋があったのか分かりませんが、この山を取られたら大変なことになりそうな空気感ですね。
 久喜藩の陣屋がここにあったとして、作ったのは米津政武さんです。恥ずかしながら初めて知りました。まあ、埼玉なんてそんなもんです。翔んで埼玉翔んでけ埼玉。Wikipediaによると、そもそもこの米津さん、「よねづ」でなく「よねきつ」と読むようです。大都会徳島のATOKさんは、こんな埼玉の田舎者のことなど認識しておりませんので、「よねきつ」なんて変換できません。ついでにいえば、久喜藩という藩も初めて知りました。いやあ、お恥ずかしいったらありゃしない。どうも途中で陣屋が長瀞に移転し、のちに長瀞藩になったようです。

 この御陣山児童遊園、ここ一帯は「御陣山遺跡」という遺跡になっており、Wikipedia上にあるだけでも過去12回発掘調査がおこなわれている縄文遺跡であるとのことです。私のように戦国ドンパチにしか興味がないような人間にはまったく分からない、古くから人が住んでいた場所であるようです。

 今となっては、小高い丘の上に社があり、それをのぼってお参りして終わり、という感じですが……。まあ、久喜市としても基本は住宅地であり、久喜提燈祭りさえあればいいような雰囲気ですので、ここに模擬陣屋をつくって……みたいな展開は期待しませんし、おそらくそんな無駄な税金使ってられないことでしょう。

見えてきました 児童遊園です
児童がいるところで写真をパチパチやると
完全に不審者になってしまいますが、
幸い誰もいませんでした
丘の上のお社 階段以外のルートもある ここは首塚のあった場所であるとのことです
霊覚者角沢栄一先生が発見したとのこと

 霊覚者角沢栄一先生というのがどなたなのか、大変気になるところではありますが、検索しても出てこなかったのでスルーすることにします。
 というわけで、久喜駅のまわりはこれで終了です。

鷲宮神社へ続く

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