ワシノナナセ〜ルート77

 久喜駅回りの攻略を終え、まだもうちょっと寄り道する時間があるので、鷲宮神社に寄ってみることにしました。こういうときにとりあえず神社に寄ってみる、というのは王道観光法であります。このあたりに「鷲宮神社」というのがあるのは分かってたんですが、字面だけぼーっと認識していたため、鷲宮なのか鷺宮なのかもよく分かっていませんでした。鷺でなく鷲が正解です。

 久喜から東武に乗って1駅で鷲宮駅に到着。東武という電車は自分に全く縁の無い電車でして、毎度毎度Google Mapさんにおんぶだっこです。

 駅には鷲宮神社への案内図も出ておりまして、また道も非常に単純なので簡単に到達できます。
 なお、鷲宮駅のWikipediaには2021年4月18日時点で「2018年度の1日平均乗降人員は6,723人である[2]。2006年度には乗降人員が7,401人にまで減少していたが、鷲宮町の町おこしなどもあり、2007、2008年度には上昇に転じた。」という記載があります。第1文と第2文の流れが日本語としておかしいのですが、誰でも編集できるWikipediaならではの記述ですね。駅にはいかにも何か店が入っていたような空気があったのですが、なにもありません。Wikipediaを見ると、かつては東武ストアが入っていたようですね。ここだと駐車場もなさそうなので、地方のスーパーとしてはなかなか大変だったのかもしれません。

鷲宮駅 案内図 かぐらのまち鷲宮へようこそ

 途中、青毛堀川沿いに、河津桜が咲いており、大変綺麗です。道路沿いにあり、歩道も狭いのでコロナ禍で密になって花見酒を飲んでいる人はおりません。
 とりあえず、行きは南側、帰りは北側を歩いて桜を眺めていきました。
 ちなみに、これを書くに当たって「河津桜があった川の名前はなんだろう」と思ってGoogle Mapさんを見ていたところ、鷲宮神社のすぐ西、青毛堀川を渡ったところに粟原城という名前の城跡があることが分かりました。まあ、色々検索したところ、遺構はほぼ残っていないようですし、時間的にここを回ることはできなかったのでよしとすることにします。
 また、参道にかかっている橋は「宮前橋」という名前で、ぱっと見雰囲気のある、太鼓橋っぽい感じの橋なのですが、近づくとなんてことない橋でした。まあ、こんなところに予算を突っ込んでも仕方ないですね。


 で、鷲宮神社です。
 鷲宮神社は「関東最古の大社」という呼び名もあるようです。ここにいう「大社」というのは、おそらくは出雲大社のことですね。私は出雲大社というかそのあたりの神話についてはさっぱり知識を持っていませんので、出雲大社軍団が諏訪大社軍団を制圧?したくらいまでした分かってません。そのあとこのあたりまで乗り込んできた、ということかな?
 なお、Wikipediaによると、「鷲宮神社は「関東最古の大社」を名乗っているものの、歴史資料に現れるのは『吾妻鏡』の建長3年(1251年)の記載が最初であり[1]、この主張は根拠を欠いている。」とのことです。Wikipediaが引用しているのは、池尻篤さんの「鷲宮神社の祭神」という論文ですね。これを読むほどヒマではないので、ここではWikipediaの記載を信用しつつ、神社が「関東最古の大社」と称している事実を尊重していきたいと思う次第です。

 で。鷲宮神社は2018年8月11日に鳥居が倒壊してしまったようです。現在、寄付金を募っているようですが、とりあえず鳥居無し。参道を進みます。
 ここは拝殿が参道の先にある、のではなく、参道を進んで突き当たったところを左奥に入るかたちになります。拝殿は南を向いておりますね。

鳥居の礎石だけ残ってます 由緒書かと思ったら
文化財の案内でした
参道 金灯籠 拝殿 本殿

 拝殿の向かいにあるのが立派な神楽殿。そう、鷲宮神社といえば、鷲宮催馬楽神楽です。先ほどの案内板でも大々的に案内されていました。
 お馬鹿NPは、「鷲宮催馬楽神楽」という7文字熟語をみて、「馬」という漢字にピクッと反応してしまうのであります。単なる神楽では無く、馬に関係するものなのか、興味が出ますね。

 久喜市のホームページには、「国指定 鷲宮催馬楽神楽」というページがあります(いずれ消えるだろうけれど、ここです)。ここには、詳細な解説がありますが、同時に、この神楽が観光客向けのカチカチしたものではなく、神事としてその場の雰囲気を重視しているものであることが分かります。なんせ、時間は「昼頃から始まりますが、開始時間は正確に決まっておらず、その日によって異なります。午前11時頃から始まり、午後3時頃に終わることが多いようです。」とあり、演目は「奏演される演目は事前に決まっておらず、当日にならないと分かりません。」とあるのです。その日になって、神様と対話しながら、神様に供える踊りを決める、ということなんじゃなかろうか。単に演者の気分とかだったらどうしよう。

 そして。先程来気になっている、「馬」ですが、12座からなる演目をみても、特に馬が出てくる雰囲気がありません。あれあれ。
 もしかして、と思って「催馬楽」で検索したら、出ました。Wikipediaさんによると、催馬楽とは、「催馬楽は、平安時代初期、庶民のあいだで歌われた民謡や風俗歌の歌詞に、外来の楽器を伴奏楽器として用い、新しい旋律の掛け合い、音楽を発足させたもので[1]、9世紀から10世紀にかけて隆盛した」とのことです。「語源については馬子唄や唐楽からきたとする説などもあるが定かではない。」とあります。はい、当て字でした。残念。

 馬とは関係ないことが分かったので、もうどうでもよくなりました。まあ、近所だったらものは試しで一回見に行ってみようかという感じになりますが、ちょっと距離もあるのでおそらく見に行く機会はないかな……。

神楽殿 神楽について スウェーデン国王・皇后陛下+天皇皇后両陛下の御前にて神楽を上演したようです

力石

諏訪神社

 そして、鶏舎。事前情報ではクジャクがいるとどこかで見たような記憶があり、ちょっと期待していったのですが、ニワトリしかいませんでした。別にニワトリじゃダメだっていうわけではないんだけど。
 なお、鷲はどこにもいません。


 最後に、光天之池。
 解説文が「進入禁止」のサインで隠れているくらい、解説を読ませる気が無い(というよりも進入する輩を防止したい気持ちが前面に出ている)のですが、解説文をよく読むと、「平成十一年より、古来の御神池に復元すべく土砂の搬出をしておりますと、池から湧水が溢れ出て、龍のような雲が空を覆いました。その時に『天まで光輝くような池』というご神託を受け、池の名を光天之池(みひかりのいけ)と名付けました。」とあります。なんと、平成11年ですよ、平成11年。平城天皇11年じゃありません。1999年、つまり、私がヨヨギマックでしこしこ『白馬』を書いていたそのころ、鷲宮神社では池から湧水が溢れ出て、龍のような雲が空を覆っていたのです。いやはや、これはすごい。

光天之池と御池社 解説

 そんなわけで、野木に向かいます。

 あらためて、野木町は栃木県の最も南側に位置する町です。あらためて、恥ずかしながら、今回までこの「野木町」という町のことは知りませんでした。自分の中で、「野木」というと、初代WinningPostの田面木騎手役のキャラクターだった騎手です。初代WinningPostはSFC版しかやっていませんが、このゲームがなければ私が競馬にはまることはなかったと断言できるレベルで、非常にはまったゲームです。なお、私はいわゆる「ダビスタ世代」の人間ですが、初めて手にした競馬SLGがウイニングポストであったため(なお、初めて手にした競馬ゲームはファミリージョッキー)、ダビスタに触れることなく今日に至ります。
 そんな、WinningPostに思いをはせながら野木町のWikipediaを見てみます。素人的に思うのは、「よくぞ平成の大合併を乗り越えて町として生存したな」というところであり、おそらくは金のなる木がどこかにあるのでしょう。
 びっくりするのは、出身者。つぶやきシローさんがいます。なんと、あれだけ栃木弁丸出しで人気を得てたので、もっと栃木of栃木な場所の出身かと思ったら、半茨城な栃木最南端の町出身だったとは。そして、知っているところでは小島秀仁さん(自分の中で「秀仁さん」呼びなんですが、これは2017の愛媛FCサンクスパーティーのときにエーコさんが小島選手のことを「秀仁さん」と呼んでたため)。前橋育英→浦和→愛媛→千葉、というイメージが強く、自分の中で群馬県民でしたが野木町の観光大使も務めておられるようです。本題と関係ないですが、自分が小島を知ったのは愛媛時代で、小島が浦和にいた頃は自分がサッカーを見てない時期でした。なので、YouTubeで当時のサッカー番組(違法アップロードだと思われるけど、知らん)を見ると、小島が浦和でとんでもなく大きな期待を受けてるのがわかり、衝撃を受けます。鈴木大輔も移籍したことだし、千葉には頑張ってほしいんですが、いろいろな選手を燻らせる千葉の魔力というのは凄いですねえ。また、あらためて小島聖矢選手のTwitterとかを見てたんですが、秀仁さん、聖矢選手のTwitterフォローしてないな。

 閑話休題。
 野木駅から、えっちらおっちら、エニスホールに向かって歩きます。
 もうちょっと同業者というか、同じ目的っぽい人がいるかと思ってたんですが、なんと誰もいません(終盤に何人か徒歩客発見)。

野木駅到着 渡良瀬遊水池が売りらしい 野木町Map とちぎ国体ではハンドボールを担当 野木駅西口です
帰りに撮った写真 ようこそ野木町へ
地味に相川のポスター
ここにも野木町Map
こっちの方がみやすい
町制施行記念碑 釜めしがウリで、イタリアンレストランへの改装を予定しているWestern Cafe
なにごとにも貪欲なのは素晴らしい

 んで。畑が広がる中、突然現れる場違いな建物が、エニスホールです。遠目にはイオンモールっぽくもあり、ゴミ処理場っぽくもありますね。
 ちなみに、みんなが気になるであろう「エニス」の意味ですが、ここによると、槐のことのようです。野木町=ひまわり、のイメージから脱却したいという先進的な考えのもとに名付けられたようです。まあ、サンフラワーホールよりはいい気がしますね。という木は、そもそも読めませんでしたが(「えんじゅ」が正解)、あまりイメージがわかない木です。どこかで聞いたことある響きだな、とちょっとだけ思いましたが、エニフでした。いま検索しましたが、エニスも槐もレース名になっていないようです。宇都宮競馬がのこっていたら何らかのレース名になっていたのかもしれませんが、とりあえずJRAには食い込めていないようですね。

 ごたくはさておき、中に入ります。
 座席が半分なのに当日券が余っている、という状況は寂しくもあり、まあこの情勢だから仕方ない部分もあります。自分も、新型コロナウィルスが流行しだしてから寄席には行ってたけれど、音楽イベントに行くのは初めてです。なんというか、不思議な懐かしさのある空間です。

場違いな建物 エニスホール 海援隊も来てたらしい ポスター
このサイズのものしか
ないのかな?
検査はばっちり?

 完全にどうでもいいのですが、入場時に配られたチラシは本公演のもの以外わずか2つ。音楽イベント冬の時代です。
 そして、チラシの対象年齢層が高そうですね。相川ももうこういう世代になったのです。私も自分の年齢を直視しないといけません。

配られたチラシ

 で、セットリスト。

恋心
Like Hard Rain
プレイバック Part2
六本木心中
フレンズ
Dear Friends
You and Me
M

バイバイ。
Nostalgia
Sweet Emotion
BREAK OUT!

〜アンコール〜
彼女と私の事情
ロックンロールウィドウ
夢見る少女じゃいられない

ダリア

 半分近く(六本木心中も含めると8/17)が他人の歌で、これは相川のカラオケ大会か、という突っ込みが出てきそうなリストですが、相川さんとして25周年を振り返るにあたり、自分を形作ってきた曲を選んだ結果なのだということなので、これはこれで、貴重な体験ができた、という前向きな捉え方をしておきたいと思います。ZARDのYou and Meは、それこそZARD全盛期には何十回と聞いた曲ですが、生で聞くのは初めてなのはもちろんとして、曲自体も聞くのは10年以上ぶりだな。
 相川個人の歌だけ見ても、全体的に前半期(全盛期)に偏っていて、最後のダリア以外織田さん作曲作品です。野木町開催なので、オタ向けではなく一般向けにしたのかな、と思ってましたが、ROUTE 77ツアー全体的にこんな選曲だったようなので、このあたりの曲をやりたかったのだろうな。

 特段ルールも何も意識せずに乗り込んだんですが、何にビックリしたって、みんな立って踊って、声を出す以外はやりたい放題だったことです。座って手拍子を想定していたので、ちょっとというかかなりビックリしました。
 そして、わりと遅めにチケットを買ったような記憶があったんですが、端の方だったとはいえ前から5〜6列目くらいだったのもよかったです。いや〜まさかこの年になって、こんな特等席で見られるとは。人間長生きするものです。
 とにかく、相川のライブで跳んで跳ねて手を振って、なんて自分的にいつ以来かちょっと思い出せないレベルだったので(イギリスから帰ってきて初めてじゃなかろうか)、本当に楽しかったです。行ってよかった。

暗闇の中のエニスホール 最後にポスター

 こういう難しい時期に、ライブをやること自体がリスクのあることだったと思いますが、相川さんを初めとして決行してくれた関係者の方々には本当に感謝感謝です。
 早く声も出せるような環境になることを願います。

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