多幸あれ岸和田 その3

 そんなわけで,岸和田城の本丸に入ります。
 岸和田城は江戸時代の絵図がきっちり残っているので,あちこちで往時の絵図が見られます。で,やっぱりここでもやっぱり天守は5層ですな。
 ただ,本丸入口脇の絵図では小天守?は描かれておりませんが,ほかの絵図にはあったりするので,このへんはいろいろと曖昧なんでは無かろうかと思います。
 この3層天守の再建について紹介しているサイトを発見。岩出建設という平成の改修工事を担当した会社が作成されたページのようです。これによると,大阪府からは5層ではなく3層である点などを理由に不許可と言われていたのに対し,「設計士・池田谷久吉氏は猛反論し、歴史的観点に立って設計し、建築する旨を主張されました。」とのことです。歴史的観点に立つと3層ではなく5層になりそうな気がするのですが,このあたりはお城マニアと設計士の方とで発想が異なっていると思われます。

入口脇にあった絵図
古くなりすぎて丸数字の意味が分からない

 そんなわけで,本丸へ。

4時以降は入れません
ぐるっと回るのに1時間も
いらないと思うけど……
櫓門前の舗装事業概要 櫓門方向 右手の石垣 左手側 市制施行90周年 犬猫禁止
しかし絵がかわいい

 立派な櫓門を抜けていきます。どうみても再建された櫓門ですが,解説がありません。岸和田は市内の解説板は充実してるのに,お城に入ると途端に解説が力尽きるんだよな〜。教育委員会の内部で何かがあったのか,それとも城外の解説は観光協会の管轄なのかな?そのあたりの内部事情はまあ部外者には分かりかねます。

 城門をくぐると,まずいきなり大釜が登場。いきなりすぎてこのあとへの期待が高まりましたが,このあとは特になにも登場しないという岸和田魂。
 しかも,酒造用ということで,なぜここにあるのかもよく分からんな。神社に奉納してもよかったのでは。さらに,解説を読んでも時代的にいつのものなのか分かりません。とりあえず,岸和田のお城でこの釜を使っていたことにしておくとみんながハッピーになれるような気がします。今検索したところ,この信貴本家酒造って結構内陸部にありますね。内陸部の方が水がきれいそうなイメージがあるのでそれはいいんですが,岸和田城にお酒を納入していた業者さんってことなんでしょうかね。

大釜

 で,入るとさすがにお城なのでまさか天守まで一本道なはずもなく,当然虎口が待ち構えております。で,お城が想定している観光ルートは左方向なので,天の邪鬼NPとしてはとりあえず右に進みます。
 で,右の階段を上ると,多聞櫓への入口となるわけですが,門の上の櫓への入口は固く閉ざされておりました。で,その横の櫓はトイレになっておりました。それ以外には特に何もなく,二の丸を見渡せるわけでも,二の丸を射撃できるようなスペースを見られるわけでもありませんでした。世の中そうそう天の邪鬼を喜ばせるようには出来ておりません。

右に進む 見下ろす 登るとこんな様子 鬼瓦 上からの写真であって
ここから見える景色ではない
塀の上から写真を撮ろうと努力たけど
徒労に終わった図
門は閉ざされる 装飾 見下ろす トイレがあります 門の方向をみる

 さて,あまり盛り上がらずに観光コースに復帰…するまえに,今度は左側の階段をのぼって,鉄砲狭間からの景色を撮影。うむ,特になにも見えないな。
 これだと,大勢で来る敵に対する威嚇は出来ても,少数でこられたらなかなか弾が当たらないだろうな。多分狙い撃ち目的でここから鉄砲撃ってないんだろうけど。

鉄砲狭間からの景色と射程 門の方向を見る

 ようやく観光コースに完全復帰。ここから天守に向かって解説の説明板が並びます。もうちょっとうまくまとめられそうな気もしますが,おそらく一人1枚で人員配置したんではなかろうか。

解説と案内
野外に設置すると,みんな天守に向かって早足になるからスルーされやすいんだよね
しかも日焼けするし

 小牧長久手の裏で,各地でいろいろなせめぎ合いがあり,岸和田もその中で戦闘が行われたようです。
 これ,和歌山のときにも少し書いたんですが,僕は関東人なので,大阪の地理関係・大阪と和歌山の地理関係がよく分かっておらず,「根来衆」ってのは和歌山の南の方を根拠地点として,その周辺にいたイメージだったんですよね。これがかなり自分の中で間違った地理イメージがあったので,あらためて歴史関係の本を読むのに注意が必要だよなあ。

 あと,千亀利城と呼ばれていた理由が,てっきり本丸を中心にしたたたずまいが亀みたいだからかと思ったら(二の丸が首でまわりの櫓が足ね),全然違いました。
 千亀利の由来は,機織りのときに使う「ちきり」らしいです。なるほどねー,言われてみれば……というのは嘘で,「ちきり」がなんなのか全く分からない現代っ子NPなのでありました。いやほんと,今適当に検索してるんですが,ちきりの形が分からないぞ。すぐに比較画像が見つかるかと思ったのだが。

外からも目立ってました
岡部氏記念碑
ここから外に出られます
昔もこういうものがあったのだろうか?
井戸跡かと思ったら違った 城壁 天守を見上げる

 さて,岸和田城の売りは八陣の庭です。
 諸葛亮孔明の陣構えをモチーフに作庭されたようです。このへん,諸葛孔明に疎ければ,作庭術についても疎いのでこれ以上コメントできないのが辛いところ。
 お恥ずかしながら現地では気付いていなかったのですが,この庭には波紋が描かれております。どうも青海波と呼ぶらしいです。なんか強そうですね。素人NPはつい「せいかいは」と読んでしまいたくなりますが,「せいがいは」が正解です。岸和田市報道発表によると,作庭された重森三玲氏の意匠では青海波が描かれていたものの,市役所にこれを描ける人がおらず適当にごまかしていたところ,ついに重森氏のお弟子さんの斉藤忠一氏を招いて描き方を学んだようです。ううむ,こういう細かいお庭ひとつとっても,いろいろな人のいろいろな創意工夫と思いが詰まってるんだなあ。

 城内は写真撮影禁止のため(実は途中まで気付かなかったのだが),写真なし。

解説 確かに紋様があります 平面図 上から ジオラマ 別角度

 最上階は当然のごとく展望階になっておりました。いやぁ,風が気持ちいい。

二の丸方向 小天守方向 瓦には市長様と保存会会長殿の名前が 景色

 かつては図書館だったようですが,現在岸和田城はありがちな博物館になっております。1階に自動ドアがるのはまあコンクリ天守なのである意味期待通りともいえますな。
 で,2階では岸和田市市制施行90周年を記念して,「岸和田市の90年」という特別展示が行われておりました。当然,これまでの歴代岸和田記念競輪優勝者の表彰が行われているものと期待したのでありますが……
 そんなものは全くありませんでした。まあ記念競輪云々は冗談としても,たとえば「春木競馬の開催と閉鎖」みたいな展示があってもよさそうなのに,特になし。競輪と競馬は,昔の鳥瞰図で一応存在を確認できるだけでありました。
 いろいろ資料が散逸していたり,ほかの博物館なんかに展示があったりするのだと思いますが,展示としてとりあえずテーマもなくあるだけのものを展示しておきます,という感じで,中途半端だったかな−。まあ予算も限られてるだろうし,難しいんでしょうね。

 と,いうわけで本丸をあとにして,あとは蛸地蔵へ向かうのみです。


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