岩戸山古墳

5.岩戸山古墳

5.1 筑紫の磐井

 Google Mapさんに従って、福島高校前のバス停で下車。岩戸山古墳へ向かいます。

 正直なところ、ここに行くまで岩戸山古墳のことは全く知らず、筑紫の磐井についても、奈良時代に九州の反乱軍を指揮した磐井という人を大和王権が倒した、というレベルの知識でありました。
 ここに行ったのち、あらためて磐井のことを軽く調べてみたところ、まず筑紫君磐井のWikipediaレベルでも、日本書紀とそれ以外の風土記等とで見解に若干の違いがあることが分かります。せっかくなので、太郎良盛幸さんの『筑紫の磐井』という本やシリーズ「遺跡を学ぶ」の『筑紫君磐井と「磐井の乱」』を読もうか、とも思ったんですが、残念ながら後者はAmazonでも定価でしか売ってなく(←定価で買う気が無い時点でやる気がバレる)、ほかに目に入った鹿野真衣さんの 『マンガ版 筑紫の磐井』を買って読んでみました。これは、 太郎良盛幸さんの本を原作としているようで、筑紫連合政権の存在を前提に、九州側から見た磐井について書かれたものです。
 なお、福岡県八女市/八女教育員会が企画したアニメがYouTubeに挙がっており、八女市が関係しているだけに九州側の視点で描かれておりました。



 結局、九州視点で描くとして、問題になるのは「磐井の乱」(乱かどうかは一旦忘れる)の終わらせ方。磐井側に立った漫画版もアニメも、このあたりに非常に気を遣っているのが分かります。アニメ版は大伴金村ファンがみたら怒りそう。まあ何事も、敗者側から歴史を語るのは難しいものです。

 なお、私はまだ何も見てませんが、九州歴史資料館のウェブサイトに、「令和6年度古代史研究フォーラム”筑紫君磐井の乱の実像に迫る”」というページが公開されており、そこからシンポジウムの動画も見られるようです。また、予稿集のPDFもアップされております。暇があったら見てみよう。


5.2 岩戸山古墳へ

 というわけで、バス停から古墳に向かって歩きます。徒歩数分なのでたいした苦労はありません。
 なお、古墳脇には岩戸山歴史文化交流館 いわいの郷という博物館があるのですが、月曜日はお休み。月曜に観光するとどうしても博物館のお休みとぶつかってしまうのが玉に瑕です。
 ここ岩戸山古墳で発掘された石人、石盾、石馬などを見られなかったのは残念ですが、これらの価値を知ったのは後日上記筑紫の磐井関係のものを読んだり見たりしたあとのことですので、この時点で博物館に行ったところでまた無駄な写真が増えてHDDの容量が圧迫されただけで終わったと思われます。

岩戸山古墳への案内 九州オルレというサッカーチームみたいな名称のものの案内
済州島発祥のトレッキングの一種のようですね
岩戸山歴史文化交流館 いわいの郷。入口前には磐井の像

 そして、古墳エリアへと向かいます。とりあえず案内板をチェック。

古墳周辺マップ 解説 古墳への道 案内


5.3 別区

 案内に従って進むと、広々とした草っ原に到達します。ここが別区と呼ばれている場所で、解説によると、『筑後国風土記』に、ここで裁判が行われた様子が書かれているとか。
 ここで裁判をやっていたと言われると、「磐井の生存中にやった裁判なのか、亡くなって古墳が墓として運用されるようになってからの裁判なのか」「磐井が大和王権側に負けたあとも地域への司法権を誇示するためのものだった?」「それまではどこで裁判をやっていたのか」などと疑問と妄想は尽きないですね。
 もっとも、いわいの郷のホームページ上では、「別区には猪を盗んだ人を裁判にかけている様子が石人等で表現されていた」とありまして、この表現だと「ここで裁判をやっていたのではなく、裁判をやっていた様子を古墳前に石人等で示した」だけのことになるので話が変わります。
 まあ、風土記の記載を理解せずにあれこれ書いても仕方がないので、大人しく風土記を読め、という感じでしょうかね。

下から登って別区に入る道がなんとなく虎口っぽかった 広い原っぱですが、綺麗に草が揃っております 句碑
北東側から別区を見る 石人石馬のレプリカが並びます
別区から古墳を見る 南辺からぐるりと見回す 解説

5.4 岩戸山古墳を回る

 別区は単なる四角い野原ですので、とりあえず眺めて終了となります。1人旅なので、中でキャッチボールしたりサッカーしたりなんかしません。たき火もしません。裁判をやっていた場所でやらかして現代の裁判所に連れて行かれたらたまったもんではありません。

 さて、岩戸山古墳を左回りに回っていきます。左回りになったのは、目の前にフェアウェイが広がっていて、そっちに進むと左回りだったからです。まずは、前方の北西角を目指します。
 ちなみに、Wikipediaなどを見ていると、前が方で後ろが円であることについて、現在では色々な議論の末に慣習的に使われている用語である、ということになっているようですが、自分が小学校〜中学校の頃にこのことに前が方で後ろが円であることに疑問を抱けなかったことが悔しくてなりません。

 なお後円部はそこまで草が高くなく、登れそうな雰囲気を醸し出しており、また周囲には「登山禁止」とか「近付くな」という看板もなく、これが山城だったら確実に登っていたと思います。なんとなく、登るのを遠慮してしまったのですが(おそらく、「墓に登る」ということを無意識のうちに忌避したのだと思う。但し、過去にも古墳に登ったことはあるし、なんならこのあと訪れる岩戸山4号古墳には登った)、八女市のホームページには思いっきり、「岩戸山古墳の墳丘上に登ることができます」と書かれていました。なんなら、登り口に解説があるレベルだった。まあ時間的に見落として結果オーライだったとは思うけれど、見落としたのはエラーではある。

フェアウェイ 後円部
登ろうと思えば登れそうだけれど、なんとなく登る気になりませんでした
あらためて接近します フェアウェイ

 そして、前方部の北西角に到達。とりあえず、それっぽいパノラマ写真を撮ってみます。

パノラマ パノラマその2
接近したりしながら前方部を撮影
音声解説のQR
ほかに誰もいなかったので
流しながら歩いてました
前方部 ここも登れそうな雰囲気

 そして、前方部の西側の辺を進んでいきます。
 それにしても、フェアウェイ部が本当に綺麗な芝になっていて、ここがしっかりと管理されているのが分かります。インバウンドブームもどこへやら、という感じの場所ですが(博物館が開いてない月曜日だったのが大きいのかもしれない)、これは凄い。


前方部の西辺をぐるっと ちょっと遠目から ちょっと接近

 そして、前方部の南西の角に到達。ここにきて鳥居が登場。これまで全く感じられなかった宗教的な空気感が出てきました。フェアウェイが小さくなって木陰がきつくなってきてるのもこの空気感に影響してます。

前方部南西角
鳥居が見えます
そこから、西の辺を見る 石鳥居。近付くと、案外背が低い
そして、扁額の文字は1文字目の「天」しか読めず

 鳥居からのスタートでしたが、その先、前方部の南側には石仏が並びます。神仏習合的な経緯なのか、全く別の経緯でここに石仏が並べられたのかは分かりません。
 石仏をよく見ると、下部に個人名が書かれているようで、これは寄進者の名前かな?とりあえず、三十三観音の写し、とかではなさそうですね。

石仏が並びます 土台部分には個人名

 もう少し進むと、再度鳥居が登場。ここから上に登れるようです。場所としては、前方と後円の中間、くびれのあたりから、後円部にあがるかたちでしょうか。
 そして、このあたりには神社らしく土俵があったり、戦役記念碑があったりします。

鳥居 その先の広場の様子 土俵 戦役記念碑
矢穴がそのまま残ってます
広場から前方部を見る 岩戸山古墳解説 QR

 そして、その先の鳥居をくぐって上にのぼります。鳥居をくぐると、「古墳(人様のお墓)にのぼっている」という罪悪感がなくなります。人間、不思議なものですな。
 こちら、鳥居には「大神宮」とあります。解説板によると、吉田大神宮というらしいです。もちろん祭神は天照大神。あわせて、別祭神として菅原道真公。さすが太宰府の近く、九州ですな。ただ、大和王権と戦った磐井の墓に、最終的に大和王権から駆逐されたとはいえ王権側にいた菅原道真を祀るのはどうなのだろうか。まあ天照大神も大和王権側の神か。ということは、ヤマトの神の力で磐井を封じ込めようとしたのだろうか。
 ちなみに、先ほど前方部の西南角で見かけた鳥居の扁額では、一文字目の「天」だけ読めたので、あの鳥居には天満宮的な何かが書かれていたのだと思います。あの位置の鳥居が天満宮で、こっちは大神宮というのは、なにか鳥居を設置する際に寄進者にこだわりがあったのだろうか。
 ……と、ここまで書いていたら祇園社の木造阿弥陀如来坐像のところにある程度の解説が。どうやら、吉田地区の氏神は老松天満宮だったようで、それがこちらに合祀された、という流れのようです。また、天満宮の本尊が阿弥陀如来というあたりの神仏習合さがよいですね。

鳥居 拝殿 吉田大神宮
祇園社 阿弥陀様は秘仏のようです
石像猿田彦塔。文化財なのは真ん中の奴ではなく、向かって右の塔ですね

 そして、あとは後円部のまわりをぐるりと回って、別区にもどりました。無事、一周です。一周したからといってとくに名誉磐井民の称号がもらえるわけでも何でもありませんが、なんとなく達成感がありますね。

後円部 別区に到着

5.5 岩戸山4号古墳(下茶屋古墳)

 続いて、前方部北西角あたりに案内の出ていた、岩戸山4号古墳へ向かいます。こちらは、直系30mの円墳。以前久留米で見た祇園山古墳を思い出す、比較的コンパクトな円墳であります。
 こちらはありがたいことに石室内に入れていただけるようなので、ありがたく入らせていただきます。お墓の中でフラッシュを焚くのもなかなか気分的にのらないのですが、気分的にのらないといいつつも結局フラッシュを焚いてしまうあたり、所詮人間は弱い生きものなのであります。自分の弱さを人間の弱さに広げていいのかは知りません。

 そして、先ほど岩戸山古墳で「古墳に登るのは云々」とか書いてたのに、ここにきてあっさり古墳の上から入口を見てみたりしているのでありました。所詮人間は弱い生きものなのであります。

解説 綺麗な円墳です 入口
石室へ 石室内 天井部 左右 ちょっと引いたところから
入口 入口まわりの石 上から おりながら

 そんなわけで、再び福島高校バス停へ。その道中、ちょっとだけ寄り道。幸か不幸か、博物館の休みに合わせて竪穴住居と高床倉庫コーナーも閉鎖されていたので、ここで時間を使わずに済みました。

祀られていた石仏 西側から岩戸山古墳を見る 高床倉庫と竪穴住居

5.6 広川サービスエリア

 福島高校バス停から、南湯納楚でおりて、広川サービスエリアへと向かいます。広川サービスエリアには高速バスのバス停があり、ここからバスで福岡空港まで直行できるのであります。

福島高校バス停 広川SAバス停への道

 で、一度バス停まで出たんですが、バスがくるまでまだ時間があるので、広川SAで昼食をとることにします。
 広川SAは絶賛工事中。食堂もそこまで広くはありませんでしたが、八女茶の入った茶肉そばをいただきました。とりあえず八女茶がらみのものを食べられたので満足です。
 ついでに、売店でいきなり団子を購入。熊本といったらいきなり団子です。

広川SAへの階段 工事中です ここを歩きます 建物
フードコート 茶肉そば800円 いきなり団子はここで購入

 そして、バス停に戻ります。

案内 バス停へのトンネル バス停に出ました
バス停からの眺め 時刻表 座席指定制導入
私みたいに
行き当たりばったりの客には
きつい改正
九州産交バスは
Suicaなどから離脱
バス到着


 
 バスの到着時間に合わせて、何気なくバスが到着する動画を撮ろうと思って撮り始めたところ、10分くらい遅れてきたので思いのほか長くなった動画がこちら。無駄にYouTubeの容量を消費しております。



 そんなわけで、無事福岡空港に到着。ここから帰宅です。お疲れ様でした。

到着 とりあえず撮ってしまう


熊本市街地 → 水前寺成趣園 → 熊本競輪 → 八女その1その2 → 岩戸山古墳


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