一人の男が八女探訪その1

4.八女探訪

 おはようございます。
 この日は取り敢えず西鉄久留米からバスで八女へと向かいます。
 西唐人町で下車。ここまで乗っていたのは私1人でした。
 地名を見るに、かつてはここに渡来人が集まっていたのでしょうか。ただ、熊本唐人町のWikipediaを見ると、「歴史的に渡来人の居留地などは認められない」とのことでした。どういう経緯でこういう地名がつくのかは分かりませんが、色々な経緯があるのでしょう。

ホテルから見下ろした
西鉄久留米駅前
ホテルを見上げる バス乗り場
西唐人町の時刻表 バス停 ノーコメント

 そして、一仕事を終えて、街歩き開始。
 八女という場所は、私はこれまで「お茶!」というイメージしかなかったのですが、どうも八女・福島の町並みが国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されているようです。元々、統治は福島城の城下町で、元々は筑紫広門が治め、のちに田中吉政が柳川城の支城として治めたようです。
 で、てっきりこの町並みは一直線になっているのかと思っていたら、どうやら城下町の町割りの影響を受けていて、道路が屈曲しております。商業用道路ではなく、軍事用道路なのですな。

 で。ここから福島八幡宮を目指します。
 どうも私は事前情報として福島城のことをまったく認知していなかったようであり、「八女 公園が実は城跡だったようだが 完全に逃す」「Google マップで 福島城の堀跡を見てようやく 城跡 があることに気づく」というメモが残っておりました。まあ前日の熊本はさておき、八女には仕事で行っているので、要するに「NPは仕事のことだけ考えて八女に行っていた」ということにしておきます。

 さて、ここからは、八女の観光案内所作成の地図を参考に旅行記を書いていくとします。



4.1 街歩きスタート

 今歩いている道が旧街道(旧往還道)と重なるのは、紺屋町交差点から2ブロックのようなのですが、それまでも面白いかたちをした建物があるにはあります。
 で、せっかくなのでそういうのも記録(写真)に残したくなってしまうわけですが、単なる一般民家を写真に撮ることはそれはそれで気持ちの悪いことだろうな、という罪悪感もちょっとはあります。まあ、Google Mapさんが盛大にやってるので結局は「道路から撮るなら問題あるまい」という感じで済ませてしまうのだけど。

 城下町の、つまりは江戸期の色を残す町並みの中に、目立つ色の建物が。その名も、八女昭和レトロ博物館。Google Map上では、「この場所は営業終了している可能性があります」扱いで、検索しても開店準備をされているInstagram投稿はありますが、入館者の記録は発見できず。外観上は非常に綺麗で廃墟感もない(建物の前に盛大に盆栽等があるけれど、しっかり管理されてて虫もわいてなさそう)のだけれど、どうなっているのでしょう??
 さらに、どうも日本の伝統工芸品として認定されている八女提灯というものがあるようです。Wikipedia情報によると、「現在の大半の提灯の構造である一本の骨を螺旋状に巻くことは八女提灯が起源である」とのことです。現在の提灯の構造をしっかり考えたこともなかったですが、そうだったのか。

 その横にある菓子処きくやさん、名物とおぼしき「ゴールデンライムどら焼」の文字を見て、ゴールデンスライムかと思いました。

 玩具問屋さん、そして大人のおもちゃ……とは言われないかもしれませんがサガミオリジナルの自販機もありました。

 そして、こういう旧城下町的な場所に行くと常に大きな力を誇っている醤油店。今の日本だとイメージがわきませんが、こういう醤油店がしっかりと残っていると、伝統的な町並み感が出ますね。

建物を見てなんとなく歯医者さん化と思ったら違った 税務署登場 霊樟碑
進みます。旧街道でなくとも、趣のある家は散見されます 角にあった八百屋さん 紺屋町交差点から南方向
こちらが旧街道沿いで
雰囲気のある家が並びます
紺屋町交差点 進みます 西勝寺
ミント色の建物が目立ちます 八女提灯共同組合員之証 こちらは博物館でなくパブなのかな?
特徴的な意匠の建物 菓子処きくや 道路を振り返る
進みます 玩具問屋永松商店。花火問屋でもあるようです システムの案内
大人向け 醤油店
こちらも非常に特徴的な建物 伝統工芸士さんの作品が展示されておりました

4.2 平田稲荷神社

 そうこうしていると、福島八幡宮に接近してきました。ふと見ると、鳥居。その脇に、簡単な地図とともに、八女福島券番と八女福島置屋という文字が出てきました。
 鳥居は、てっきり福島八幡宮への鳥居かと思ったら、平田稲荷神社というお稲荷さんへの鳥居でした。

 やはり気になる券番と置屋。こういうものがあったというあたりが、しっかりしたリアルな城下町という感じです。
 Google Map上に史跡扱いで「旧検番」という場所はありますが、なんかこの看板上の地図と場所が違うようにも思われ、よく分かりません。そして、置屋とか券番とかが出てくるとおそらくこの手のマニアな方がしっかりとまとめて何かを作っていると思ってその場でちょろっと検索しましたが、何も出てきません。ううむ、どうなっているのだ、八女の置屋。
 とりあえずあとでもう1回戻ってきますが、1回目はさらっといきます。

鳥居登場 券番と置屋 三叉路を左方向、お稲荷様へ 鳥居
鳥居から拝殿へ 様々な石碑 淡島神社 上から境内
面白い形の家が見えた

4.3 福島城外堀

 そして、ここにきて上述の「福島城外堀跡」をGoogle Map上で発見して、慌てて外堀(三重堀の一番外側)と思われる場所を見ていくことになります。このあたりは適宜埋められて駐車場になってますね。

水堀跡が簡単な用水路になっております 神社方向を見上げる

 外堀の南側は「文化池」と呼ばれております。なんか高尚な名前になっていて由来が気になるところでしたが……まさかの年号由来。確かに言われてみれば文化文政の化政時代なんてあったなあ。
 あれ、そもそもcultureであるところの文化と元号であるところの文化、どっちが先にある単語なんだ、と思って検索してみたら、「文化」というWikipedia項目発見。この手の話題をWikipediaに依拠するのは若干危ないのは分かっていつつも、とりあえず将来の自分のためにリンクだけ貼って暇なときに眺めることにします。
 なお、斜め読みした限りでは、語源はどちらも『易経』賁卦彖伝にある「観于天文、以察時変、観乎人文、以化成天下」で、先に使われたのは元号。明治なってcultureに宛てられたのが文華、転じて文化。文華を使ったのは坪内逍遥。その後、日本から文化という単語は中国にも輸出されたと。
 まあ斜め読みなので読み違えてる可能性もあります。気にしない気にしない。

外堀跡の文化池 福島八幡宮側を見る
鯉放流中 文化池解説 神社側から 神社にのぼる階段 施設改修記念

 そして、裏側(南側)から一旦神社の西側を通って、旧往還道に戻ります。

鳥居前から旧往還道(西)方向を ここにも券番と置屋の地図 西方向に旧往還道を見る 年季の入った岡伍平商店 岡伍平商店の前あたりから
東(福島八幡宮)方向
角の趣ある建物 そこから北方向 小さな空き地 松延貫嵐の句碑
旧往還道から外れて東(福島八幡宮)方向 昔の看板が並びます 鳥居

4.4 福島八幡宮

 そんなわけで、福島八幡宮へ。
 正直なところ、ここまで大きく、かつ気合いの入った神社だとは想像しておりませんでした。というか、八女という町を完全にお茶の町だと思い込んでいたので、こういう空気感だと分かってなかった、という感じです。旧往還道沿い、置屋の裏手にある、非常にしっかりした神社であります。

一の鳥居 入ったところ 二の鳥居 宮野町恵比須様
重要無形民俗文化財、八女福島の灯籠人形 灯籠人形保存会公演事務所 先ほど句碑を見た松延貫嵐さん
進みます こういう専用の幟をつくる
財力もあるようです
手水舎。装飾が美しい
神門を見上げる 木彫りのシロちゃん 阿形の犬もシロちゃんなのだろうか 拝殿 灯籠
昇龍飛躍 翔龍 顔はめパネルも
用意されています
御朱印も盛りだくさん あらためて、拝殿

 そんなわけで、福島八幡宮の参拝終了。

4.5 券番と置屋を求めて

 再び、平田稲荷神社の鳥居に戻ってきました。先ほど見逃した、券番と置屋を求めてもうちょっと歩いてみます。
 先ほどは神社に釣られて三叉路を左に進んだので、今回は右手に進みます。道が狭いので写真に収めづらいですが、なんとか券番跡地の喫茶店と、置屋跡地の雑貨屋さんを発見。
 置屋建築については詳しくないので、丸窓っぽいものがあると「これは置屋の名残!」と無条件に反応してしまうのですが、実際のところどの程度当時の姿を残しているのかは分かりません。

再び三叉路 今度は右へ 八女福島券番 八女茶喫茶 茶楼蒼
公民館 案内板 細い道を進みます
茶と器 ねじ/okiya galerie【八女福島置屋】 窓が特徴的 置屋の名残なのかどうかは私には分かりません

 そして、Google Map上で「旧番」(旧番ではない)となっている空き地も一応記録に残しておくことにします。

旧検番跡地?
あらためて外堀跡を北方向 南方向

 続いて、八女福島城とも、八女の街並みとも関係のない、鉄道記念公園へと南下します。福島城本丸がますます遠ざかります。


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